太子堂興野(読み)たいしどうごうや

日本歴史地名大系 「太子堂興野」の解説

太子堂興野
たいしどうごうや

[現在地名]豊栄市新井郷にいごう

新井郷川左岸に位置し、東は土地亀どちがめ新田、南は高森たかもり新田。村内を兄弟きようだい堀・しん堀・奥才おくさい堀が貫流して新井郷川へ注ぐ。享保期(一七一六―三六)新発田藩によって開発され、元文五年(一七四〇)六月三組さんくみ新田の内奥才新田として検地を受けたが、一二月には太子堂村の内太子堂興野に村名が変って再度検地を受けた。田畑合せて五一町九反余で、名請のほとんどを太子堂村名主原藤兵衛が行い、その他に新発田藩士師橋徳兵衛・三浦四兵衛の給人地があった(豊栄年表資料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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