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太田城 おおたじょう

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日本の城がわかる事典の解説

おおたじょう【太田城】

茨城県常陸太田市にあった戦国時代の平山城(ひらやまじろ)。戦国大名佐竹氏の本城だった城である。JR常陸太田駅北方の高台の上に築かれていた。平将門の乱で活躍した藤原秀郷(俵藤太)の子孫の藤原通延が1109年(天仁2)、下野国からこの地に入部し、築城したのが起源といわれる。その後、後三年の役で戦功をあげた源義光の孫の源昌義がこの地に入部して佐竹氏を称し、佐竹氏第2代の隆義が太田城主の藤原通盛を服属させて太田城に入城し、以後、戦国時代末期に常陸を統一した佐竹義宣が居城を水戸城(水戸市)に移すまで佐竹氏の本城となった。関東七名城(太田城、川越城、忍城、前橋城、金山城、唐沢山城宇都宮城)の一つに、あるいは関東三山城(太田城、金山城、唐沢山城)の一つに数えられるほどの名城で、大正末期まで土塁や郭の一部が残っていたが、城跡は現在、ほとんど市街に埋没してしまっている。本郭は現在、太田小学校があるあたりに、二の郭は同市内堀町から若宮八幡宮一帯に、三の郭は同市栄町一帯にあった。JR水郡線常陸太田駅から徒歩約10分。◇佐竹城、舞鶴城、青龍城とも呼ばれる

出典|講談社
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世界大百科事典内の太田城の言及

【紀伊国】より

…しかし軍事力を過信した根来は降服条件を拒否し,85年3月に秀吉の火攻めによって敗れ去ったが,当時のようすは遺跡などからうかがわれる。ついで秀吉は雑賀勢のたてこもる太田城を攻撃し,かなりの抵抗をうけたが水攻めで落城させた。このとき城内にあった指導者53名の首を大坂にはこび阿倍野でさらし首とし,天下統一事業に反対する者があるならば征服するぞと,その権力を誇示した。…

※「太田城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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