太田氏館跡
おおたしやかたあと
[現在地名]清水町清水山
清水山の南東部、日野川左岸にある太田小源五の館跡。字定出・城ノ下の地籍にあたる。城館地はかつて日野川の河岸にまで出張っていたが、大正三年(一九一四)堤防築造によって出張った東半分は切取られて河原になり、西の部分は比高一〇メートルの丘陵地として残り、通称城山とよばれる。杉木立の中に城主の守護神であったという毘沙門の祠がある。
「越前国城蹟考」が館主とする太田小源五は、天正一二年(一五八四)七月二日付丹羽長秀奉行人奉書(橘家文書)に奉行人の一人としてみえる太田小源五一吉であろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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