日本歴史地名大系 「清水町」の解説
清水町
しみずちよう
清水湾に注ぐ
〔中世〕
天文二一年(一五五二)八月一二日の今川義元判物写(駿河志料)に「清水屋敷」とみえ、当地の屋敷三間と田地二段等が某に安堵されている。同二三年には今川義元の嫡男氏真と北条氏康の娘との婚儀に際し、北条家が西浦御領所の舟方中に、費用と荷物を伊豆国
清水町
しみずちよう
- 和歌山県:有田郡
- 清水町
有田郡の東部にあり、
清水町
しみずちよう
- 静岡県:駿東郡
- 清水町
御殿場市・裾野市によって南北に二分される駿東郡のうち、南部の南半を占める。東は
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずまち
清水町
しみずちよう
ほぼ南北に通る
平安京では京域外で、
寛文九年(一六六九)、一〇年にかけての
町成立後も高瀬川筋の町々は京都代官小堀仁右衛門の支配下にあったらしく、年貢は銀納で蔵入地となっている(北村伝兵衛家文書)。
清水町
しみずまち
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずまち
清水町
しようずちよう
清水町
しみずまち
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
清水町
しみずまち
清水町
しみずまち
清水町
しみずまち
清水町
しみずまち
清水町
しみずちよう
清水町
しみずちよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報