奈佐路村(読み)なさじむら

日本歴史地名大系 「奈佐路村」の解説

奈佐路村
なさじむら

[現在地名]日高町奈佐路

藤井ふじい村の西に位置する。慶長六年(一六〇一)旗本杉原四郎兵衛長氏(通称荒川杉原氏)知行地となり明和元年(一七六四)に至る。同年同家断絶により上知(以上「寛政重修諸家譜」、天明九年「村明細帳」奈佐路区有文書、寛永一六年知高帳など)幕府領幕末に至る。知高帳では高一〇六石余。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図でも同高。天明九年(一七八九)の村明細帳では高一三七石余・反別一四町八反余、土手敷引などを引いた残高(毛付高)は一二六石余(田八八石余・八町四反余、畑二〇石余・二町二反余)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む