奥ヶ原村(読み)おくがはらむら

日本歴史地名大系 「奥ヶ原村」の解説

奥ヶ原村
おくがはらむら

[現在地名]奈良市おくはら

布目ぬのめ川流域、しも村東方にある。興原とも書く(寛文朱印留)。「大和志」は奥原と記す。慶長郷帳の村高二八五・八八石。御番衆領から元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領。のち同藩の二割半無地高増政策で村高は三五七・三五石となる。延宝七年(一六七九)幕府領となり、元禄一五年(一七〇二)川越藩(柳沢吉保)領に編入され、宝永元年(一七〇四)幕府領にもどる。享和元年(一八〇一)再び郡山藩(柳沢保光)領に編入された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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