奥宿城跡(読み)おくしゆくじようあと

日本歴史地名大系 「奥宿城跡」の解説

奥宿城跡
おくしゆくじようあと

[現在地名]御津町虎倉

備中境の本陣ほんじん(四四三・五メートル)にある戦国時代末期の城跡。虎倉こくら城の出城で、天正二年(一五七四)頃には、虎倉城主伊賀久隆の家臣河原源左衛門・河田七郎が在城していた。同年春、毛利輝元の武将穂田元清(毛利元清)に攻められて河田七郎は討死、河原源左衛門は深手を負いながら城の東にある滝の近くまで逃れ、敵二人を小脇に挟んで滝壺に身を投じたと伝える(備前軍記・東備郡村志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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