御津郡(読み)みつぐん

日本歴史地名大系 「御津郡」の解説

御津郡
みつぐん

面積:三四五・〇二平方キロ
御津みつ町・建部たけべ町・加茂川かもがわ

明治三三年(一九〇〇)御野みの郡と津高つだか郡が合併して成立した郡。旧御野郡地域は岡山市へ編入・合併され、現郡域には存在しない。また旭川左岸には、上流から旧美作国久米北条くめほくじよう郡・同久米南条郡、備前国赤坂あかさか郡の各一部が含まれ、加茂川町南西端には、旧備中国賀陽郡域が一部存在する。ほぼ県中央部に位置し、南は岡山市、西は上房じようぼう賀陽かよう町・有漢うかん町、北は真庭まにわ落合おちあい町、久米郡あさひ町・中央ちゆうおう町、東は久米郡久米南くめなん町、赤磐あかいわ吉井よしい町・赤坂町山陽さんよう町に接する。北西から南東に旭川が貫流し、郡域東部を国道五三号、西部を国道四二九号が縦走、国道五三号にほぼ沿ってJR津山線が通る。北部の旭川沿いの地域は吉備清流県立自然公園に指定されている。

明治三三年成立当時の御津郡は、県南中央部を占める南北に狭長な郡で、南は児島こじま湾、北は真庭郡、東は岡山市および旭川を隔てて上道郡赤磐郡・久米郡、西は都窪つくぼ郡・吉備郡上房郡に接していた。南部には旭川・ささ川の形成した沖積平野および児島湾の干潟を開発した干拓地が広がり、中北部には標高三〇〇―五〇〇メートルの準平原状の吉備高原と、それを開析して南流する旭川およびその支流沿いに小盆地や氾濫原が分布する。集落は南部の沖積平野では自然堤防上や丘陵の裾に集村をなし、吉備高原では湧水を中心に散村を形成していた。旭川とその支流沿いの集落は洪水を避け、山裾に集村を形成している所が多かった。成立当時の当郡は旧御野郡域に九ヵ村、旧津高郡域に二二ヵ村を数えた。

〔古代―近世〕

旭川や宇甘うかい川の流域に小古墳が散在する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報