日本歴史地名大系 「奴山村」の解説 奴山村ぬやまむら 福岡県:宗像郡津屋崎町奴山村[現在地名]津屋崎町奴山・生家(ゆくえ)宮地(みやじ)岳山塊の大石(おおいし)山から名児(なご)山に連なる山並の西側に位置する。南は大石村、西は勝浦(かつうら)村。南部に枝村の生家村がある(続風土記)。怒山とも記される。建永二年(一二〇七)二月日の安部清宗解(宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文三)に「奴山智京坊御灯諸職等」とあるのが早い。永仁三年(一二九五)四月一〇日、僧壮円は「奴山・大石村田畠等小問丸名」などを子息の香童丸に譲っている(「僧壮円譲状」同文書/鎌倉遺文二四)。乾元二年(一三〇三)六月日図師幸秀が注進した社領田代并立用以下目録(宗像社家文書惣目録/宗像大社文書二)と宗像社領公文所注進(同上)に奴山がみえ、宗像社の社領とされていた。建武元年(一三三四)三月二〇日の雑訴決断所牒(同上)には奴山があり、社領として安堵されたと考えられる。鎌倉期の宗像宮年中諸神事御供下行事(宗像大社所蔵文書/神道大系神社編四九宗像)の一二月二〇日条に「奴山」が載る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by