日本歴史地名大系 「勝浦村」の解説
勝浦村
かつうらむら
寛永国絵図には勝浦・下福家・八岑がみえ、
勝浦村
かつうらむら
- 千葉県:勝浦市
- 勝浦村
現勝浦市の南東部、勝浦湾の東手に位置し、西は
勝浦村
かつうらむら
飛島の南東に位置し、海岸沿いに南北に連なる。かつら村とも称した。縄文時代の
漁業を生業とし、農業は大豆・麦などの畑作、寄港地のため問屋や船宿もあった。寛文二年(一六六二)の年貢割付状(酒井家文書)によると年貢いか一九駄、家数三七・人数九八、田九間二分余・畠二千二四一間余。天和三年(一六八三)の飛島村数並家数人数書上(鶏肋編)では家数五三、うち真言宗寺院一、人数二七五、猟船八〇艘。
勝浦村
かつうらむら
勝浦村
かつうらむら
那智湾を形成する南側半島状の地にある漁村。東端に小名
正安二年(一三〇〇)三月三日の引旦那注文案(米良文書)の端裏書に「カツラノヲイトノ分」とあり、元徳二年(一三三〇)一一月一一日付の旦那譲状(同文書)に「葛浦左衛門入道分」と地名を負った御師の名がみえる。
勝浦村
かつちゆらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報