朝日日本歴史人物事典 「妍子内親王」の解説
妍子内親王
生年:生年不詳
平安後期の伊勢斎宮。鳥羽天皇と藤原家政の娘三条局の皇女。吉田斎宮と号す。母は待賢門院(鳥羽天皇皇后)の女房であったが性格が穏やかでなかったので,その娘の妍子は長承2(1133)年以降,宮中ではなく母の里邸の五条堀川邸で育てられることになった。康治1(1142)年2月内親王となり伊勢斎宮に卜定され,翌年野宮に入り,天養1(1144)年9月に伊勢に下った。久安6(1150)年病気により斎宮をやめ帰京した。
(中込律子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報