えいじ エイヂ【永治】
平安末期、崇徳・
近衛両
天皇の代の
年号。
辛酉(しんゆう)革命により保延七年(
一一四一)七月一〇日
改元。翌年四月二八日、次の
康治に代わる。
鳥羽上皇の
院政が行なわれた時代。
出典は「
晉書‐武帝紀」の「見
二土地之広
一、謂
二万葉而無
一レ虞、覩
二天下之安
一、謂
二千年而永治
一」、「魏文典論」の「礼楽興
二於上
一、頌声作
二於下
一、〈略〉世永治長徳、与
レ年豊」など。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「永治」の意味・読み・例文・類語
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えいじ【永治】
日本の元号(年号)。平安時代の1141年から1142年まで、崇徳(すとく)天皇、近衛(このえ)天皇の代の元号。前元号は保延(ほうえん)。次元号は康治(こうじ)。1141年(保延7)7月10日改元。辛酉革命(しんゆうかくめい)を理由に行われた改元で、辛酉は天命が改まる年(王朝がが交代する革命の年)とされる。『魏文典論(ぎぶんてんろん)』および『晋書(しんじょ)』を出典とする命名。崇徳天皇は1123年(保安(ほうあん)4)に父鳥羽(とば)天皇の譲位により即位したが、鳥羽は上皇として院政を行った。その後、両者は不和となり、崇徳は1141年(永治1)には鳥羽から体仁(なりひと)親王(近衛天皇)への譲位を迫られ、上皇となった。崇徳は後に、病死した近衛に代わった後白河(ごしらかわ)天皇とも対立し、これが保元(ほうげん)の乱の原因となる。
出典 講談社日本の元号がわかる事典について 情報