世宗(読み)せいそう

  • 世宗 Sejong
  • 世宗 Shì zōng
  • 世宗 せいそう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1397-1450 朝鮮王朝の第4代国王。在位1418-50。
太祖6年4月10日生まれ。太宗の子。名君といわれ訓民正音(ハングル)の制定で知られる。倭寇(わこう)の本拠地とみなした対馬(つしま)を襲撃(応永外寇(がいこう))したが,のち富山浦など三浦(さんぽ)を開港し,対馬島主宗(そう)氏を介して日本との修好通商関係を拡大した。世宗32年2月17日死去。54歳。。諱(いみな)は祹(とう)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

朝鮮,李朝第4代国王(在位1418年―1450年)。《訓民正音》を作成させてハングルによる朝鮮語の表記法を確立し,農書《農事直説》や史書高麗史》などの編集事業を推進した。また倭寇(わこう)壊滅のため対馬を攻撃(応永の外寇)したが,後には対日交易のため三浦(さんぽ)を置いた。名君として韓国では象徴化され,紙幣の肖像にもなっている。
→関連項目宗廟

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

921‐959
中国,五代後の第2代皇帝。在位954‐959年。姓名柴栄太祖郭威の柴皇后ので,太祖の養子となり,34歳で帝位を継いだ。老弱兵を大量に整理し,地方節度使管下の部隊から精鋭を抽出して中央に集中し,さらにそのうちの優秀なものを集めて殿前諸班という親衛部隊を編成した。この禁軍の大改革で五代最強かつ厳正な軍隊をつくり上げ,統一事業を推進した。まず後を討って軍馬供給地を含む4州を取り,ついで南を攻めて淮南・江北14州を奪取した。
1123‐89
中国,金朝第5代の皇帝。在位1161‐89年。完顔雍(女真名烏禄)。1161年(正隆6),海陵王が無謀な南宋討伐を企ててひきおこした動乱の最中に,当時東京留守のにあった世宗は海陵王に不満をもつ女真人や渤海人に推されて遼陽で即位した。海陵王が兵士に殺された後,同年世宗は中都(北京)に進出して,まず契丹人の反乱を収拾し,和議を結んで(1165)平和を回復した。そして物力銭など新しい経済政策を実施する一方,経費を抑えて国家財政をたて直し,また地方官に人材を抜擢して民生の安定につとめた。
1397‐1450
朝鮮,李朝第4代の国王。在位1418‐50年。本名は李祹(りとう)。太宗の第3子。内外政に治績をあげて李朝の基盤を固め,後世,〈海東の尭舜〉とたたえられる。農業を重視し,《農事直説》という農書を編纂させ,田制詳定所を設けて田制の改革を行った。文化事業も盛んに推進し,《訓民正音》(朝鮮文字,ハングル)を作成させ,《高麗史》《高麗史節要》《竜飛御天歌》《資治通鑑訓義》などの編纂事業と並行して銅活字を鋳造させた。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

1123~1189 中国、金の第五代皇帝(在位1161~1189)。姓名は完顔雍。契丹きつたん人の反乱を鎮圧し南宋と講和して国家財政の再建に努めた。
1397~1450 朝鮮王朝第四代の王(在位1418~1450)。姓名は李祹りとう。農業の発展・田制の改革などに努め、朝鮮王朝の最盛期を現出させた。「高麗史」などを撰修、訓民正音(ハングル)を制定。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

中国、金の第五代皇帝(在位一一六一‐八九)。女真名は烏祿。太祖阿骨打(アクダ)の孫。南宋と不仲の海陵王にかわり、南宋との国交を回復し、国内では官吏の粛正、財政の緊縮、女真文化の保護を行ない、金の黄金時代を築いて、小堯舜と呼ばれた。(一一二三‐八九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

今日のキーワード

ブルーインパルス

航空自衛隊に所属し華麗なアクロバット飛行(展示飛行)を披露する専門チーム。現在のチームは3代目となり、正式名称は宮城県松島基地の第4航空団に所属する「第11飛行隊」。チーム名の「青い衝撃」の意にちなん...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

世宗の関連情報