妙見浦
みようけんうら
[現在地名]唐津市妙見町・海岸通
唐津村に属し、大島と向い合せの浜浦。
口伝によれば、文禄年中(一五九二―九六)藩主寺沢志摩守が下関伊崎(現山口県)より伴ってきた漁師を、当時藤の浦と称していたこの浜に住まわせ、漁に従事させた。漁師は志摩守の許しを得て、満島山にあった妙見大明神をここに移し祀った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の妙見浦の言及
【天草下島】より
…南西部は浦内浦(羊角湾)の奥深い入江,牛深の沈水海岸で,天草灘西海岸の単調さを富岡の陸繫島が破っている。西海岸には海食の奇岩に天草灘の怒濤の砕ける妙見浦(天・名)の景勝地がある。地質は第三紀層が広く分布し,貨幣石(河浦町)を産し,一部に夾炭層があり,かつて良質の天草炭を産した。…
※「妙見浦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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