デジタル大辞泉
「唐津市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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唐津市
からつし
面積:一二七・〇二平方キロ
佐賀県の北西部、松浦川流域に位置する。東松浦郡・伊万里市に接し、東は浜玉町、南は厳木町・相知町、南西は北波多村・伊万里市、西は肥前町・玄海町、北西は鎮西町・呼子町。北は玄界灘の唐津湾に面し、神集島・高島などを含む。
東部は松浦川の沖積地で穀倉地帯をなし、東端に鏡山がある。南部は背振山地から延びる低い丘陵地で、花崗岩層が露出している。松浦川左岸の西北部は玄武岩からなる上場台地で、標高二〇〇メートル内外の丘陵地。第三紀末の地殻変動により形成された唐津湾には、その頃の火山活動でできた島々が浮かぶ。鏡山も同時期に出現した。唐津湾は古代は奥深い入江で、河川による沖積作用により、潟を形成していた。近世初期には寺沢志摩守広高の松浦川改修などもあって海岸線は後退し、虹の松原は海浜になっていた。北西部の玄界灘の海岸は玄武岩の岩壁で、波濤の浸食が激しく、荒々しい景観を呈する。
〔原始〕
昭和二五年(一九五〇)鏡山山頂より先土器時代の細石刃が発見され、その後、上場台地に属する唐川・竹木場・太良・枝去木・佐志・湊の各地から同時代の遺物が発見された。縄文時代の遺跡・遺物も上場台地を中心に出土している。西唐津海底遺跡では、水深一・五メートルの海底から縄文前期から後期に至る遺物がおびただしく出土している。
弥生時代の遺跡は鏡山周辺が主体となり、農耕の中心になったことがうかがえる。弥生後期になると、桜馬場遺跡の後漢鏡、宇木汲田遺跡の銅剣・銅鉾等の出土、葉山尻支石墓遺跡の存在などが大陸との関係を物語り、また墓地群が各所から発見されている。「魏志倭人伝」にいう「又渡一海千余里、至末盧国、有四千余戸、浜山海居、草木茂盛、行不見前人、好捕魚鰒、水無深浅、皆沈没取之」は、この時代の唐津の状況をさすといわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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