日本歴史地名大系 「子部神社」の解説 子部神社こべじんじや 奈良県:橿原市多・耳成地区飯高村子部神社[現在地名]橿原市飯高町小字西垣内飯高(ひだか)集落西方、瑞花(ずいげ)院西隣に鎮座。小子部(ちいさこべ)命・武甕槌(たけみかづち)命・経津主(ふつぬし)神・天児屋根(あめのこやね)命・姫(ひめ)大神・素盞嗚(すさのお)命・斎主(いわいぬし)神を祀る。旧村社。「延喜式」神名帳十市(とおいち)郡「子部神社二座並大、月次新嘗」に比定(大和志)。式内子部神社は天安三年(八五九)一月二七日、従五位上に昇叙(三代実録)。天平一九年(七四七)の大安寺伽藍縁起并流記資財帳に、舒明天皇一一年百済川辺の子部社の木を伐り払って九重塔を建て百済大寺としたが、社神が恨んで堂塔を焼失せしめたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報