日本大百科全書(ニッポニカ) 「学問源流」の意味・わかりやすい解説
学問源流
がくもんげんりゅう
江戸中期の儒学者那波魯堂(なわろどう)の著。1巻。魯堂の弟奥田元継(げんけい)(尚斎、1729―1807)の記した1794年(寛政6)の序により、魯堂が晩年病床にあって門弟に講述したものを、その没後、元継が魯堂の子と諮って刊行したことがわかる。平安時代の延喜(えんぎ)・天暦(てんりゃく)以来の日本における儒学の歴史を述べたもので、中国宋(そう)代の程朱学(程顥(ていこう)・程頤(ていい)や朱熹(しゅき)の学)を真正とする立場から、近世初頭に程朱学をおこした藤原惺窩(せいか)の功績をたたえ、程朱学を批判した中江藤樹(とうじゅ)らの陽明学派、伊藤仁斎(じんさい)らの古義学派、荻生徂徠(おぎゅうそらい)らの古文辞学派ほかを非難し、程朱学の本来の姿を保持すべきことを説いている。1891年(明治24)博文館発行の『少年必読日本文庫』第6編に収められる。
[玉懸博之 2016年4月18日]