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那波魯堂 なば ろどう

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美術人名辞典の解説

那波魯堂

江戸後期の儒者。姫路生。通称主膳、名は師曾、字は孝卿、鉄硯道人と号する。岡白駒に従学し、阿波侯の儒官となる。寛政元年(1789)歿。

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デジタル大辞泉の解説

なわ‐ろどう〔なはロダウ〕【那波魯堂】

[1727~1789]江戸中期の儒学者。播磨(はりま)の人。活所の子孫。岡白駒(おかはっく)古学を学び、のち、朱子学に転じた。著「学問源流」「魯堂文集」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

那波魯堂 なば-ろどう

1727-1789 江戸時代中期の儒者。
享保(きょうほう)12年生まれ。京都で岡白駒(はっく)にまなび家塾をひらく。師に破門されて家学の朱子学に復帰し,古学を批判。晩年は阿波(あわ)徳島藩主蜂須賀治昭にまねかれ藩学を振興,「四国の正学」とよばれた。寛政元年9月11日死去。63歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。名は師曾。字(あざな)は孝卿。通称は主膳。別号に鉄硯道人(てっけんどうじん)。著作に「学問源流」「左伝例」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

那波魯堂

没年:寛政1.9.11(1789.10.29)
生年:享保12(1727)
江戸時代中期の儒学者。名は師曾,字は孝卿,通称は主膳。魯堂,鉄硯道人と号した。播磨国(兵庫県)姫路の人。那波活所の5世の孫。17歳のとき,京都の儒者岡竜洲(白駒)に師事して古文辞学を学び,5年後,聖護院村で生徒に教授。しかし,宝暦年間(1751~64),師から破門され,朱子学に転じて古文辞学批判にまわった。その後,徳島藩主蜂須賀治昭に招かれ,藩儒として活躍し,「四国の正学」と称された。偏狭な山崎闇斎流を排し,名利を離れた自由な学問研究を重んじた。主著『学問源流』は,当時脚光を浴びた。<参考文献>東条琴台『先哲叢談後編』

(柴田純)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

那波魯堂
なわろどう
(1727―1789)

江戸中期の儒学者。名は師曽、字(あざな)は考卿、魯堂また鉄研道人と号す。播磨(はりま)の姫路に生まれる。17歳で京都に遊び岡田白駒(おかだはっく)(姓は岡とも。1692―1767)に学ぶ。初め白駒について漢魏(かんぎ)の古学を修めたが、のち程朱の学を信奉して、これを正学とし、仁斎(じんさい)学・徂徠(そらい)学を排す。京坂の地でその業大いに行われた。晩年には阿波(あわ)侯に仕える。著書に『左伝標例』『学問源流』『道統問答』『東遊篇(へん)』などがある。[玉懸博之]

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