程顥(読み)テイコウ

デジタル大辞泉 「程顥」の意味・読み・例文・類語

てい‐こう〔‐カウ〕【程顥】

[1032~1085]中国北宋思想家洛陽河南省)の人。あざなは伯淳。号、明道。弟の程頤ていいとともに二程子とよばれる。性理学基礎を築いた。語録が「二程全書」に収められている。

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精選版 日本国語大辞典 「程顥」の意味・読み・例文・類語

てい‐こう‥カウ【程&JISEFA3;】

  1. 中国北宋の儒学者。字(あざな)は伯淳、号は明道。頤(い)の兄。弟とともに性理学の基礎を築いた。著述はすべて弟の著述とともに「二程全書」に収められている。(一〇三二‐八五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「程顥」の意味・わかりやすい解説

程顥
ていこう
(1032―1085)

中国、北宋(ほくそう)の儒学者。字(あざな)は伯淳(はくじゅん)。明道(めいどう)先生とよばれた。弟の程頤(ていい)(伊川(いせん))とともに二程といわれる。洛陽(らくよう)の人。15歳ごろ弟とともに周敦頤(しゅうとんい)(濂渓(れんけい))に従学した。26歳で科挙(かきょ)に合格、王安石(おうあんせき)の新法に反対したため主として地方官を歴任したが、人望が厚く治績をあげた。「周張二程」と並称されるとおり、彼は宋学形成期の重要人物の一人であって、とくに朱熹(しゅき)(朱子)は二程をあわせて顕彰したが、朱熹自ら「明道の言は極地を発明し、通透洒落(しゃらく)。伊川の言は事に即(つ)いて理を明らかにし、質愨(しっかく)精深」と評したように、その学風は異なっていた。彼は「万物は対(たい)有らざる莫(な)し。一陰一陽、一善一悪、陽長ずれば則(すなは)ち陰消え、善増(ま)せば則ち悪減ず」とあらゆる物を相対的にみるとともに、「道は物と対無し」と、相対の世界を超えたところに道をみ、その万物一体の道を、知的分析によらず、日常の生活体験を通じて直接的に自得することを説いた。彼の思想は『易』に基づき、道とは陰陽二気による万物の生々そのものであるとし、道に秩序あることを天理とよび、生々する生命力を仁とよんだ。また、天地が万物を生々する働き(仁の現れ)に合致するのが人の性(本来の人間性)であり、学問の目的は仁を体現して万物一体の境地に至ることであるとし、そのための方法として誠と敬とを説いた。まとまった著作はないが、主文章「定性書」「識仁篇(しきじんへん)」をはじめ、詩文と語録が『二程全書』に収められている。

[湯川敬弘 2016年2月17日]

『市川安司他訳注『程明道・程伊川』(『朱子学大系 第2巻 朱子の先駆 上』所収・1978・明徳出版社)』『麓保孝著『程顥』(『中国の思想家 下巻』所収・1963・勁草書房)』


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改訂新版 世界大百科事典 「程顥」の意味・わかりやすい解説

程顥 (ていこう)
Chéng Hào
生没年:1032-85

中国,北宋時代の哲学者。字は伯淳,号は明道。ために程明道の称でも知られる。1歳年下の弟程頤(ていい)(伊川)とともに二程子と並称されるが,その人柄,学風は弟とは対照的で,程頤が〈秋霜烈日〉であるのに対して程顥は〈春風和気〉と評された。この評語は人格と学風の双方にかかわるが,程頤が事物の分析と論理化に鋭いさえをみせたのに対し,程顥は融合的,直覚的であった。その〈万物一体の仁〉の思想は,まさしくこの〈春風和気〉の具現にほかならない。そこでいう〈仁〉とは,天地万物を一体とみなし,すべての存在をわが身の一部と考えることであり,その意味で,手足のしびれを〈不仁〉と医学書が表現するのは,みごとな仁の定義だと程顥は言う。彼にとっては,自己を貫き,人を貫き,天地万物を貫く生命の脈動が仁なのであり,それはまた,万物の根底に生への意志をみようとするその生々の思想とも通じている。著述はすべて《二程全書》に収められている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「程顥」の意味・わかりやすい解説

程顥
ていこう
Cheng Hao

[生]明道1(1032)
[没]元豊8(1085)
中国,北宋の思想家。洛陽の人。字は伯淳。明道先生と称された。少年時代,周敦頤 (しゅうとんい) に師事したが,のちに独自の境地を開く。政治的には,当初,王安石の配下にあったが,のちに対立することとなる。弟程頤 (ていい) とともに二程子と称され,道学の実質的な創始者。その思想は,万物一体の直観的な把握を基調とし,のちに南宋の朱子の宋学に影響する一方,陸象山,明の王陽明にいたる道を開いた。遺説は,朱子の編纂した『程氏遺書』 (25編) ,『程氏外書』 (12編) や,『明道文集』 (5巻) などにみえる。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「程顥」の解説

程顥(ていこう)
Cheng Hao

1032~85

北宋の儒学者。号は明道(めいどう)。洛陽(河南省)の人。弟程頤(ていい)と併せて二程という。宋学の理説,性即理説の創始者。周敦頤(しゅうとんい)に学び,仏教教学の影響を受け,「易」を根底とする天理の直観的把握を主張し,生の哲学とも評される。

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旺文社世界史事典 三訂版 「程顥」の解説

程 顥
ていこう

1032〜85
北宋の学者
洛陽の人。号は明道。宇宙の根本原理を説いて「理」と呼び,弟の程頤 (ていい) とともに宋学の基礎を築いた。

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世界大百科事典(旧版)内の程顥の言及

【性即理】より

…これと鋭く対立するのが陸九淵(象山(しようざん))と王守仁(陽明)の心即理説である。すでに北宋時代,程伊川の兄の程顥(こう)(明道)によって気即理説が提起され,あるがままの人間性が天理とされたが,朱子の論敵陸象山は,心に性・情,天理・人欲といった分析を加えることを拒み,生き生きと活動するその渾然たる全体を理とした。ここに性即理説と心即理説は,中国思想史上における最も著名な論点の一つとして登場するのであるが,朱子,陸象山においてはまだ十分意をつくした論争がなされたとはいえず,この二つのテーゼが鋭い矛盾として露呈してくるのは,明代の陽明学出現以後のことである。…

※「程顥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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