宅間田村(読み)たくまだむら

日本歴史地名大系 「宅間田村」の解説

宅間田村
たくまだむら

[現在地名]八女市宅間田

大島おおじま村の北東にあり、八女丘陵が続く。中世上妻こうづま庄のうちで、文治二年(一一八六)六月二七日の大宰府守護所下文案(上妻文書/鎌倉遺文一)によれば、同年五月六日「多久万田」など一二ヵ所の地頭職が藤原(上妻)家宗に安堵されている。家宗は建久四年(一一九三)にも当地など上妻庄内の七ヵ所の地頭職が与えられている(同年六月一九日「将軍家政所下文案」同文書/鎌倉遺文二)。文禄四年(一五九五)一二月の上妻郡内知行方目録写(筑紫家文書)に宅間田村とみえ、高二一三石余。本高は二四三石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高四四五石・役高四二九石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高四三〇石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田二一町七反余・開田一反余・畑田一町九反余・畑一三町四反余・居屋敷四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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