春日社(読み)かすがしや

日本歴史地名大系 「春日社」の解説

春日社
かすがしや

[現在地名]東郷町春木 上ノ畑

傍示本ほうじもと集落の西南端にある産土神で、祭神は建御雷神・斎主命・天児屋根命・姫大神の春日四所明神。棟札に「応永廿八年沙門宥賢勧請」とあり、また懸仏(大日・弥陀両如来)裏面に「永享三年近藤基行・同義行奉献」とある。近藤義行は沓掛くつかけ(現豊明市)城主境内に神明・愛宕あたごの両社も鎮座したが、「徇行記」に「神明祠境内二町六反六畝二十歩除地(中略)当社ノ界内ニ春日大明神・愛宕大権現ノ二社アリ」とあって、近世には神明社を主神としていたのが、のちに春日社に変わったもののようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の春日社の言及

【興福寺】より

…しかも,興福寺は勅使を迎えて大法会の維摩会を毎年執行,これの講問は高級僧侶の登竜門とされたため寺威があがった。おりから,摂関家(藤原氏氏長者)が春日社の祭祀を振興,これの神威をかりて大和国の領有をはかったことなどに刺激され,興福寺は春日大明神を法相宗擁護(仏法護持)の神といい,春日社の鎮守神化や支配をねらった。氏長者に強請して1018年(寛仁2)から法華八講会を社頭で修法,神仏習合思想をかりて春日四所明神の本地仏を教説した。…

【大和国】より

…後者の説では,大和の国分寺は下ッ道と横大路が交差する西南隅(現在,橿原市八木町2丁目に国分寺が所在している)に,大和の国分尼寺は橿原市法花寺町に想定している。 平安時代に入って藤原氏の勢力が増大するにつれ,興福寺と春日社は藤原氏の氏寺・氏社として尊信を受けるに至った。神仏習合思想の高揚とともに興福寺は春日社(春日大社)との一体化をはかり,1136年(保延2)ころには春日社を支配下に置くようになる。…

【吉田神社】より

…建御賀豆智(たけみかずち)命,伊波比主(いわいぬし)命,天之子八根(あめのこやね)命,比売神をまつる。奈良の春日社を勧請した神社。すなわち,藤原氏がその氏神春日社を長岡京に勧請して大原野神社を創建したと同様に,平安京に勧請したのが当社である。…

※「春日社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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