宇野辺村(読み)うのべむら

日本歴史地名大系 「宇野辺村」の解説

宇野辺村
うのべむら

[現在地名]茨木市宇野辺一―二丁目・東宇野辺ひがしうのべ町・蔵垣内くらかきうち一丁目・丑寅うしとら一丁目

下穂積しもほづみ村の南にある島下しましも郡の村。村を縦断する亀山かめやま街道沿いに集落を形成。「延喜式」神名帳の島下郡「井於イノヘノ神社」はもと宇野辺村にあったと伝え(大阪府全志)、「摂陽群談」に「井於も宇野辺に転ず」とみえ、ウノベはイノヘの転訛とする。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図には「宇野部村」と「上宇野部」がみえ、元和初年の摂津一国高御改帳によると「うのへ」は高槻藩内藤信正領。寛永―正保期(一六二四―四八)の摂津国高帳には宇野辺村として三九六石余が独立して高付され、京都所司代板倉重宗領となっているが、本来は三宅みやけ村の小村の一つで、元禄郷帳に「三宅宇野辺村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む