守山義雄(読み)モリヤマ ヨシオ

20世紀日本人名事典 「守山義雄」の解説

守山 義雄
モリヤマ ヨシオ

昭和期のジャーナリスト 朝日新聞編集委員。



生年
明治43(1910)年11月21日

没年
昭和39(1964)年8月27日

出生地
大阪市

学歴〔年〕
大阪外国語学校独逸語部〔昭和6年〕卒

主な受賞名〔年〕
朝日編輯賞〔昭和19年〕,徳富蘇峰新聞賞〔昭和19年〕「パリ入城記」

経歴
大阪朝日新聞社に入り、社会部勤務。昭和14年ベルリン特派員、同年9月第2次世界大戦勃発、欧州戦線報道従事。15年6月ドイツ軍に従軍して「パリ入城記」を書き、19年一連の報道で「朝日編輯賞」など受賞。20年7月帰社、24年大阪本社社会部長、26年部長職でサンフランシスコ対日講和会議を報道。のち東京本社学芸、社会各部長、大阪本社編集局次長を経て、37年編集委員となり、日曜版「世界名作の旅」取材のため海外特派されたが、病を得て挫折病床で書いたサマセット・モーム「雨のパンゴ」が遺稿となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「守山義雄」の解説

守山義雄 もりやま-よしお

1910-1964 昭和時代新聞記者
明治43年11月21日生まれ。大阪朝日新聞社にはいる。昭和14年ベルリン特派員となり,欧州戦線の報道が評判となる。20年帰国後,朝日新聞大阪本社社会部長,編集局次長。昭和39年8月27日死去。53歳。大阪出身。大阪外国語学校(現大阪外大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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