安井藤治(読み)ヤスイ トウジ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「安井藤治」の解説

安井 藤治
ヤスイ トウジ


肩書
国務相

生年月日
明治18年10月11日

出生地
富山県富山市

学歴
陸士〔明治38年〕卒 陸大〔大正2年〕卒

経歴
大正2年陸軍省軍務局課員、5年課長、6年ロシア駐在、8年東欧出張。昭和4年整備局動員課長、8年参謀本部戦史課長、10年東京警備参謀長などを経て、11年2.26事件の戒厳参謀長となり備志録を残した。12年中将。同年日中戦争で第5独立守備隊司令官となり、北部満州の治安粛正作戦を指揮。ついで13年第2師団長、14年第6軍司令官を歴任し、16年予備役。17年東京市翼賛壮年団長、19年共同企業社長。20年鈴木貫太郎内閣の国務相となり、戦争の処理に当たった。

没年月日
昭和45年7月9日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「安井藤治」の解説

安井 藤治
ヤスイ トウジ

大正・昭和期の陸軍中将 国務相。



生年
明治18(1885)年10月11日

没年
昭和45(1970)年7月9日

出生地
富山県富山市

学歴〔年〕
陸士〔明治38年〕卒,陸大〔大正2年〕卒

経歴
大正2年陸軍省軍務局課員、5年課長、6年ロシア駐在、8年東欧出張。昭和4年整備局動員課長、8年参謀本部戦史課長、10年東京警備参謀長などを経て、11年2.26事件の戒厳参謀長となり備志録を残した。12年中将。同年日中戦争で第5独立守備隊司令官となり、北部満州の治安粛正作戦を指揮。ついで13年第2師団長、14年第6軍司令官を歴任し、16年予備役。17年東京市翼賛壮年団長、19年共同企業社長。20年鈴木貫太郎内閣の国務相となり、戦争の処理に当たった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井藤治」の解説

安井藤治 やすい-とうじ

1885-1970 大正-昭和時代前期の軍人
明治18年10月11日生まれ。陸軍省整備局動員課長,参謀本部戦史課長,東京警備参謀長などを歴任。昭和11年の二・二六事件のときは戒厳参謀長をつとめる。のち第二師団長をへて,14年第六軍司令官となる。陸軍中将。20年終戦時の鈴木貫太郎内閣の国務相。昭和45年7月9日死去。84歳。富山県出身。陸軍大学校卒。

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367日誕生日大事典 「安井藤治」の解説

安井 藤治 (やすい とうじ)

生年月日:1885年10月11日
大正時代;昭和時代の軍人。国務大臣
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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