日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木貫太郎内閣」の意味・わかりやすい解説
鈴木貫太郎内閣
すずきかんたろうないかく
(1945.4.7~8.17 昭和20)
太平洋戦争の敗戦を決定した内閣。小磯国昭(こいそくにあき)内閣総辞職後、戦争継続内閣として成立した。本土空襲で都市の焦土化が進み、沖縄戦の敗北が決定的になるなかで、1945年(昭和20)6月8日御前会議で今後採るべき戦争指導の基本大綱を決定し、本土決戦の方針を定めた。国民義勇隊の結成が進み、6月13日に大政翼賛会やその傘下の諸団体が解散した。22日には、内閣に独裁権を付与する全面的な委任立法である戦時緊急措置法が公布された。一方でソ連を通ずる和平工作が進められ、近衛文麿(このえふみまろ)を派遣することも決めたが、ソ連は受け入れなかった。7月26日ポツダム宣言が発表されたが、対ソ工作に期待して、首相鈴木貫太郎は宣言を黙殺し、戦争完遂に努めるとの談話を発表した。この宣言拒否を理由として、アメリカは8月6日、9日に原爆を投下し、ソ連は8日に対日宣戦布告を行った。この結果御前会議で、ポツダム宣言の受諾が決定され、14日連合国に通告されたが、この過程では、専制天皇制・国体の護持がいちばん問題となった。15日鈴木内閣は総辞職し、17日に東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)内閣が成立した。
[山辺昌彦]
『歴史学研究会編『太平洋戦争史 5巻』(1973・青木書店)』▽『林茂・辻清明編『日本内閣史録4』(1981・第一法規出版)』