安威了佐(読み)あい・りょうさ

朝日日本歴史人物事典 「安威了佐」の解説

安威了佐

生年生没年不詳
豊臣秀吉右筆,奏者。摂津守,五左衛門。洗礼名シモン天正12(1584)年ごろキリスト教に改宗。同14年イエズス会準管区長コエリョの大坂城訪問時に接待役を務め,翌15年博多での伴天連追放令発令前夜に彼を尋問した。生存は慶長16(1611)年まで確認される。なおリスボン国立図書館にある屏風の内張り文書には彼宛の書状8点が見いだされる。<参考文献>中村質『近世長崎貿易史の研究

(五野井隆史)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安威了佐」の解説

安威了佐 あい-りょうさ

?-? 織豊-江戸時代前期の武士
豊臣秀吉の右筆(ゆうひつ)。天正(てんしょう)14年(1586)大坂城でのイエズス会準管区長コエリョと秀吉との会見仲立ちをした。通称は五左衛門。洗礼名はシモン(志門)。

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