日本歴史地名大系 「安富町」の解説 安富町やすとみちよう 長崎県:平戸市平戸城下安富町[現在地名]平戸市宮(みや)の町(ちよう) 安富町平戸城の西にあり、北の幸(さいわい)橋により城内と結ばれる。本町(ほんちよう)通六ヵ町の一つ宮之(みやの)町に属し、本町通の南にあたる。町の裏手は中世に王直が屋形を構えていたとされ、当時より埋立が始まっていた。王直のあと松浦隆信(道可)の隠宅が建てられ、没後の慶長四年(一五九九)に印山(いんざん)寺尊勝(そんしよう)院が創立されたことから、印山寺屋敷と通称されたという。同一八年イギリス船クローブ号によって平戸に入津したジョン・セーリスは当町の谷村三右衛門宅に居住したといわれる(平戸市史)。 安富町やすとみちよう 兵庫県:宍粟郡安富町面積:六〇・三〇平方キロ宍粟郡の南東部に位置し、東は飾磨(しかま)郡夢前(ゆめさき)町、南は姫路市・揖保(いぼ)郡新宮(しんぐう)町、西は山崎(やまさき)町、北は一宮(いちのみや)町に接する。東西約四キロ、南北一五・五キロの細長い町域をなす。町域中央部を林田(はやしだ)川が南流する。同川は明治期以前には安志(あんじ)川と称され、町域一帯は安志谷とよばれた。町域南部を東西に走る山崎断層に沿って中国自動車道が貫通し、姫路市と鳥取市を結ぶ国道二九号は町域南端から林田川沿いを北上し、安志から山崎町へ抜ける。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by