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松浦隆信 まつらたかのぶ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松浦隆信
まつらたかのぶ

[生]享禄2(1529).平戸
[没]慶長4(1599).閏3.6.
戦国~安土桃山時代の大名。肥前守。剃髪して道可と号した。キリシタン弾圧を行うかたわら,天文 19 (1550) 年にはポルトガル船を平戸に迎え貿易を行なった。永禄年間 (58~70) 北松浦半島を征服し,天正 15 (87) 年には船を率いて豊臣秀吉の島津征伐に従った。同 16年加藤清正に従って肥後の佐々成政の乱平定に参加し,志岐城を陥れた。

松浦隆信
まつらたかのぶ

[生]天正19(1591).平戸
[没]寛永14(1637).5.24. 江戸
第3代平戸藩主。松浦隆信の曾孫。父久信が早く死去したため慶長 19 (1614) 年祖父鎮信の遺領平戸藩を継ぎ第3代藩主となる。母大村氏の信仰により受洗し,一時期キリシタンに好意を示したが,襲封に際し徳川家康の指示で棄教し,長崎の教会堂 11ヵ所を破却した。

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朝日日本歴史人物事典の解説

松浦隆信

没年:慶長4.閏3.6(1599.4.30)
生年:享禄2(1529)
戦国・安土桃山時代の武将。源三郎,肥前守。興信の子。天文12(1543)年家督を継ぐ。同19年,ポルトガル船を平戸に入港させるが,永禄4(1561)年にポルトガル人と平戸住民の間に争い(宮の前騒動)が起こったため,ポルトガル船は大村領の横瀬浦に入港するようになった。同6年佐世保周辺を領有し,元亀2(1571)年,壱岐(長崎県)をも領有した。その後対馬(長崎県)宗氏と対立。天正15(1587)年,豊臣秀吉が九州平定のため下向するとこれに味方し,旧領を安堵された。同17年の肥後(熊本県)国人一揆の際,子の鎮信と共に出陣し,手柄を立てた。<参考文献>『長崎県史 古代・中世篇』

(佐伯弘次)

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世界大百科事典 第2版の解説

まつらたかのぶ【松浦隆信】

1529‐99(享禄2‐慶長4)
戦国時代の平戸の大名。道可と号する。永禄年間,北松浦半島を征服,1587年(天正15)には豊臣秀吉の島津征伐に従った。1550年(天文19)ポルトガル船が初めて平戸に入港し,同年ザビエルは,同地で布教を許された。領内に信徒の数が増すとともに,紛争が生じ,58年(永禄1)隆信は宣教師を領内から退去させた。ポルトガル船の来航は61年まで続いたが,宣教師は隆信を信頼せず,貿易船の来航を妨害し,去らせた。なお,彼の曾孫(1591‐1637)も同名である。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松浦隆信
まつらたかのぶ
(1529―1599)

戦国時代の武将。肥前(ひぜん)(長崎県)平戸(ひらど)城主松浦興信(おきのぶ)の子。通称源三郎。1541年(天文10)父の死により13歳で家督を継ぎ、肥前守(かみ)を名のる。平戸の勝尾東麓(とうろく)に居を構えた明(みん)人の五峰王直(ごほうおうちょく)の勧めで50年にポルトガル船を平戸に迎え貿易を行う。翌51年鉄砲の用法と鉛による弾丸の製法など軍需品をポルトガル人から取り入れたが、キリシタン宗門は迫害した。九州に勢力を伸ばした周防(すおう)(山口県)の戦国大名大内(おおうち)氏と通じ、66年(永禄9)ごろまでに大村湾一帯をほぼ平定した。68年には薙髪(ちはつ)して法号を道可(どうか)と称し、家督を長子鎮信(しげのぶ)に譲った。87年(天正15)豊臣(とよとみ)秀吉の九州出兵には大村・有馬氏らの諸将に先んじて秀吉に謁し、船団を率いて島津攻めに従い本領を安堵(あんど)された。89年の肥後の国一揆(くにいっき)の際、加藤清正(きよまさ)らと鎮圧に活躍。慶長(けいちょう)4年閏(うるう)3月6日死没。[太田順三]

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367日誕生日大事典の解説

松浦隆信 (まつらたかのぶ)

生年月日:1591年11月29日
江戸時代前期の大名
1637年没

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世界大百科事典内の松浦隆信の言及

【平戸[市]】より

…長崎県本土の北西端に位置し,平戸島全域,度(たく)島,高島,そして常住者のいない多くの島々を市域とする。1955年平戸町と中野,獅子(しし),紐差(ひもさし),中津良(なかつら),津吉,志々伎(しじき)の6村が合体,市制。人口2万5240(1995)。市の中心,平戸島北東端の旧平戸町には1607年(慶長12)亀岡城(平戸城)が築かれ,近世は松浦(まつら)氏の城下町で,天然の良港をもち,古代から中国,朝鮮などとの海上交通の要地であった。…

【平戸藩】より

…肥前国(長崎県)北松浦郡平戸に藩庁を置いた外様中藩。藩主は松浦氏。6万1700石。松浦党に系譜をひく平戸松浦氏は,党の単位細胞である平戸党の結束を通じて在地領主として発展し,隆信(道可)の時代には,北松浦郡と壱岐国を領有する戦国大名に発展した。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は6万3200石であったが,1664年(寛文4)4代藩主鎮信(しげのぶ)(天祥)のとき,従弟信貞に今福1500石を分知した。…

※「松浦隆信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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