日本歴史地名大系 「平戸城下」の解説
平戸城下
ひらどじようか
- 長崎県:平戸市
- 平戸城下
〔城下建設以前の様相〕
城下の西手の
天正一〇年(一五八二)「平戸町」の者一七人が伊勢参宮に赴いているが、その後も同一六年に二三人、同一九年に一四人、文禄五年(一五九六)に一〇人、慶長二年(一五九七)に一四人、同八年に一〇人、同一二年に一九人などと伊勢参りがみられた(「御参宮人帳」橋村家文書)。天正一七年には平戸町分の角田・藤本・貞方・月家・石垣・伊藤・木村・本山・安藤・浜田・坂本・山上・小田・宮崎・白石、「上まち」や「宮前」、「あぶらや」「つしま屋」「板や」、「かち五郎左衛門」(鍛冶か)・「大工源右衛門」、「ときや拾左衛門」(砥屋)・「うなりし彦五郎」(歌舞伎芸人か)の諸家四七人に御祓大麻が配られており(「御祓賦帳」同文書)、伊勢信仰の広がりがうかがえるとともに、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報