ジャガタラ文(読み)ジャガタラブミ

デジタル大辞泉 「ジャガタラ文」の意味・読み・例文・類語

ジャガタラ‐ぶみ【ジャガタラ文】

江戸初期、幕府鎖国政策によってジャガタラに追放された在留欧人の日本人妻やその混血児たちが、日本親類知人に送ってきた手紙

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精選版 日本国語大辞典 「ジャガタラ文」の意味・読み・例文・類語

ジャガタラ‐ぶみ【ジャガタラ文】

  1. 〘 名詞 〙 江戸初期、幕府の鎖国政策によってジャカルタに追放された日本人が故郷の知人に送った手紙。
    1. [初出の実例]「紅毛人子孫遠流之事付ジャガタラ文(フミ)」(出典長崎夜話草(1720)一)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ジャガタラ文」の意味・わかりやすい解説

ジャガタラ文
じゃがたらぶみ

江戸初期、鎖国政策により帰国を禁ぜられたり追放された日本人、日系混血児らがジャカルタより故国にあてた手紙。日本人の海外進出により南洋各地に移住する日本人が増加したが、江戸幕府は1635年(寛永12)に日本人の海外渡航と帰国を厳禁したので、彼らは中国船やオランダ船に託して故国との交信や取引を行っていたが、これも1640年ごろから禁止された。また、ヨーロッパ人との混血児とその母親も海外に追放された。当時オランダが領有していたジャカルタはバタビアとよばれ、日本ではジャガタラと称したが、同地にもかなりの日本人が居住していた。ジャガタラお春の名は、西川如見(じょけん)が潤色して『長崎夜話草』に載せたためよく知られる。

 その後、鎖国体制が整備し、キリシタン宣教師潜入の途も絶たれるにつれ、幕府は1655年(明暦1)ごろからバタビア居住の日本人の故国との交信を緩和したので、彼らは故国の親戚(しんせき)知人らと音信を交わし、金品を送り所用物品を注文した。今日、長崎県平戸(ひらど)観光資料館には、日系混血児コルネリヤら同地の日系市民が故国にあてた書簡(しょかん)5通がジャガタラ文として伝えられ、当時のオランダ人社会における日系市民の生活一斑(いっぱん)を伝えている。

[加藤榮一]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャガタラ文」の意味・わかりやすい解説

ジャガタラ文
ジャガタラぶみ

江戸時代初期,幕府は鎖国政策を強化する過程で,寛永 10 (1633) 年日本人の海外渡航を禁止するとともに (→海外渡航禁止令 ) ,翌年南蛮人および彼らと日本婦人との間の混血児 287人をマカオに,次いで同 16年紅毛系混血児とその日本人母親 32人をジャガタラ (現在のジャカルタ,オランダ領時代のバタビア) に追放したが,その追放された人々が故国に寄せた書簡をいう。近況を伝え,贈り物のリストを添えるのが普通であった。最初文通は厳禁されていたが,明暦1 (55) 年頃から禁令が緩和された。平戸に原本5通が残っており,西川如見の『長崎夜話草』に載せられたジャガタラお春の手紙は潤色されているが,お春自身のものの長文の写しも発見されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「ジャガタラ文」の意味・わかりやすい解説

ジャガタラ文 (ジャガタラぶみ)

江戸初期,鎖国体制を強化するため,幕府は1636年(寛永13)ポルトガル人と日本人との混血児とその母親をマカオへ,39年にはオランダ人との混血児とその母親をジャガタラ(ジャカルタ)に追放した。これらの人々が故国にあてた通信をいう。はじめ外国人がこれらの手紙やそれに添えた品物を預かって届けることは禁止されていたが,しだいに緩和された。平戸観光資料館には,〈ジャガタラ文〉が2,3点残っている。
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百科事典マイペディア 「ジャガタラ文」の意味・わかりやすい解説

ジャガタラ文【ジャガタラぶみ】

江戸幕府は鎖国令により外国人と日本人との間に生まれた混血児とその母親を1636年,1639年にマカオジャカルタ(ジャガタラ)に追放したが,彼らが故国にあててつづった書状をジャガタラ文という。《長崎夜話草》所載のジャガタラお春の書状や,《こるねりや書簡》等が著名だが,前者は西川如見の潤色。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ジャガタラ文」の解説

ジャガタラ文
ジャガタラふみ

江戸初期,鎖国令により国外へ追放された混血児らが,インドネシアのジャガタラ(バタビア,現,ジャカルタ)から日本へ書き送った手紙。1636年(寛永13)ポルトガル人との混血児とその母がマカオに追放されたのに続き,39年にはオランダ人らとの混血児と家族がバタビアに追放された。彼らは唐船などに手紙や品々を託して故国の親族と音信を行った。西川如見が「長崎夜話草」のなかで混血のジャガタラお春の手紙をジャガタラ文としてとりあげたことから有名になった。この文は如見の創作とされるが,お春が長崎の叔父らにあてた手紙の写しが現存する。

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旺文社日本史事典 三訂版 「ジャガタラ文」の解説

ジャガタラ文
ジャガタラぶみ

江戸前期,ジャガタラ(ジャカルタ)からの日本人の書簡
幕府は鎖国政策の一環として南蛮人との混血児とその家族をジャガタラに追放した。1655年ころから日本との文通の禁止が緩和され,彼らは望郷の情を切々と訴えた。お春の文は有名。

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世界大百科事典(旧版)内のジャガタラ文の言及

【長崎夜話草】より

…江戸中期の対外関係史話。5巻。西川如見(忠英)の著。1720年(享保5)に成る。京都の書店の求めに応じて,外国船の渡来事情,漂流漂着,事件など対外的なトピックスを主に,孝子など長崎の逸話,特産品39種を解説したもの。お春の〈じゃがたら文〉は有名。鎖国前の世代がいなくなったあとの,世人の対外的関心の所在が知られる好資料。岩波文庫,長崎叢書ほか所収。【中村 質】…

※「ジャガタラ文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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