安次嶺村(読み)あしんみむら

日本歴史地名大系 「安次嶺村」の解説

安次嶺村
あしんみむら

[現在地名]那覇市安次嶺あしみね

金城かなぐしく村の西、小禄うるく間切の中央に位置する。天順八年(一四六四)咨文(「歴代宝案」第一集巻四一)に「亜斯美」の人名がみえる。小禄間切成立以前は豊見城とうみぐすく間切に属し、絵図郷村帳では同間切に「あす嶺村」とみえる。琉球国高究帳でも同様で、高頭五四石余、うち田三八石余・畑一六石余。尚貞王五年(一六七三)小禄間切に所属した(球陽)。間切の中央にあたるため、尚穆王二〇年(一七七一)当村とあかんみ村の「前地」に番所が移されることになったが(「球陽」同年一〇月二日条)、間切集成図では小禄村に番所が描かれている。「安次嶺嶽」「安次嶺之殿」があり、赤嶺ノロの祭祀管轄(琉球国由来記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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