赤嶺村(読み)あかみねむら

日本歴史地名大系 「赤嶺村」の解説

赤嶺村
あかみねむら

[現在地名]三重町赤嶺

市場いちば村の北東、東流する三重川とその支流玉田たまだ川流域にある。ほぼ東西に日向道(臼杵・岡城路)が通る。下赤嶺地蔵堂にある永正一〇年(一五一三)一一月一四日逆修のため造立された六地蔵幢銘に「三重郷上村赤峯名」とみえる。近世を通じ臼杵藩領。慶長二年(一五九七)の三重郷検地帳写(渡辺家文書)には上赤嶺村と下赤嶺村を一括した一冊が含まれ、村位はともに上。同一一年の惣御高頭御帳も上・下の二村に分けて記され、西方の上赤嶺村は高二七八石余、東方の下赤嶺村は高二四〇石余で上ノ村組に属した。


赤嶺村
あかんみむら

[現在地名]那覇市赤嶺あかみね一―二丁目・赤嶺

安次嶺あしんみ村の南東にあり、小禄うるく間切中央の台地に位置する。同間切成立以前は豊見城とうみぐすく間切に属した。絵図郷村帳・琉球国高究帳ともに同間切に村名が記され、高究帳では「多宇間村・赤嶺村」の高頭一七四石余、うち田一二一石余・畑五三石余。明治六年(一八七三)の地頭職阿嘉嶺の家禄一五石・物成四石余、作得六石余(琉球藩雑記)。「赤嶺ノ嶽」「赤嶺之殿」「安次富之殿」があり、赤嶺ノロの祭祀管轄(琉球国由来記)


赤嶺村
あーにむら

[現在地名]知名町赤嶺あかみね

余多あまた村の北に位置する。北部には竿津さおづ山の尾根が東西に続く。初め大城ふうぐすく間切、安政四年(一八五七)から西にし方に属した。近世に南部の丘陵地アーニバルにあった集落が砂糖きび栽培のためウシュブラル(後原)、メーブラル(前原)、ハノーに移転させられたと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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