金城

美術人名辞典の解説

金城

清代の政治家・美術家浙江省生。名は紹城、字は鞏伯、号は北樓・藕湖。幼少より画・書・篆刻古文辞を能くする。英国に留学し法律を学ぶ。帰国後法制・美術を研究。民国成立後、衆議院議員・国務院秘書となり、古物陳列所設立を計った。明治43年中日絵画聯合展覧会を計画、偕同陳師会の諸画家が来日し、友交を深めた。帰国後、上海で歿する。民国15年(昭和元)歿、49才。

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デジタル大辞泉の解説

きん‐じょう〔‐ジヤウ〕【金城】

《金でつくった城の意》守りの堅固な城。
《天守閣の屋上に金のしゃちほこがあるところから》名古屋城異称

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大辞林 第三版の解説

きんじょう【金城】

〔金でつくった城の意〕 守りの固い城。堅固な城。
〔天守閣の屋上に黄金の鯱しやちほこがあることから〕 名古屋城の別名。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

金城
かなぎ

島根県西部,浜田市南部の旧町域。南は広島県に接する。 1956年雲城村,今福村,波佐村の3村が合体して金城村となり,1969年町制。 2005年浜田市,町,弥栄村,三隅町の4市町村と合体して浜田市となる。山間の町で,かつては木炭と和牛の産地であった。米作中心の農業が主産業。北部に美又温泉がある。南部の大佐山,雲月山周辺にはスキー場があり,一帯は西中国山地国定公園に属する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金城
かなぎ

島根県西部、那賀(なか)郡にあった旧町名(金城町(ちょう))。現在は浜田市の中部東寄りを占める地域。周布(すふ)川上流域および江の川(ごうのかわ)支流域の山村である。1956年(昭和31)波佐(はざ)、雲城(くもぎ)、今福の3村が合併して金城村が成立し、1969年町制施行。2005年(平成17)浜田市と合併、浜田市金城町地区となる。浜田自動車道、国道186号が通じる。県内でも過疎化が著しい。近年、野菜栽培、畜産の振興や企業誘致が図られ、ゴルフ場も建設されている。美又(みまた)、湯屋、伊木の各温泉があり、大佐(おおさ)山、雲月(うんげつ)山は西中国山地国定公園の一部。波佐地区の紙漉(す)きなどの山村生産用具は国の重要有形民俗文化財で、浜田市金城民俗資料館に収蔵される。[野本晃史]
『『金城村明治百年史』(1969・金城町) ▽『金城町誌』全7巻(1996~2003・金城町)』

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