20世紀日本人名事典 「安田木母」の解説 安田 木母ヤスダ モクボ 明治期の俳人 生年慶応4年3月16日(1868年) 没年明治44(1911)年10月11日 出生地京都府紀伊郡吉祥院村 本名安田 元治郎 経歴教職を多年にわたってつとめ、俳句を正岡子規に学ぶ。初め木母庵と号した。明治37年中川四明、遠藤瘦石等と雑誌「懸葵」の創刊に参加、京都における日本派俳人の先達である。大正2年秋田握月編「木母句集柚味噌」を刊行。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安田木母」の解説 安田木母 やすだ-もくぼ 1868-1911 明治時代の俳人。慶応4年3月16日生まれ。教師のかたわら正岡子規にまなぶ。明治37年中川四明らと雑誌「懸葵(かけあおい)」の創刊に参加。没後の大正2年「木母句集柚味噌(ゆずみそ)」が刊行された。明治44年10月11日死去。44歳。京都出身。本名は元治郎。別号に木母庵。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by