安藤画一(読み)アンドウ カクイチ

20世紀日本人名事典 「安藤画一」の解説

安藤 画一
アンドウ カクイチ

大正・昭和期の産婦人科医学者 慶応義塾大学名誉教授;日本不妊学会理事長。



生年
明治18(1885)年10月31日

没年
昭和43(1968)年11月3日

出生地
大分県豊後高田市

学歴〔年〕
京都帝国大学医科大学〔明治45年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正7年〕

主な受賞名〔年〕
慶応義塾賞〔昭和30年〕「人工受精に関する研究」,勲二等旭日重光章〔昭和41年〕

経歴
明治45年京都帝大医科大学産科学婦人科学教室に入り、大正2年講師、3年岡山医学専門学校教授。7年「胎盤及胎児に於ける糖原質の分布」で医学博士。11年岡山医科大学教授、同附属病院長、昭和9年慶応義塾大学医学部教授となり30年退職。同年「人工授精に関する研究」で慶応義塾賞受賞。その後、日本不妊学会理事長、国際不妊学会副会長、ドイツ医学会名誉会員などを務めた。産婦人科レントゲン学、子宮癌手術、人工授精などの権威で、世界婦人科医最高6人の1人に選ばれた。41年勲二等旭日重光章を受章著書に「安藤産婦人科手術学」「安藤産婦人科学」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安藤画一」の解説

安藤画一 あんどう-かくいち

1885-1968 大正-昭和時代の産婦人科学者。
明治18年10月31日生まれ。岡山医大教授,同付属病院長をへて,昭和9年慶大教授。24年日本最初の人工授精児誕生にかかわる。日本不妊学会理事長,国際不妊学会副会長などをつとめた。昭和43年11月3日死去。83歳。大分県出身。京都帝大卒。著作に「産婦人科学」「婦人科手術学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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