安達喜幸(読み)あだち・よしゆき

朝日日本歴史人物事典 「安達喜幸」の解説

安達喜幸

没年:明治17.1.10(1884)
生年:文政10(1827)
明治期の開拓使で洋風建築を推進した建築技術者。江戸芝田町の大工棟梁の出で,明治4(1871)年工部省に入り,すぐ開拓使御用係となって,翌年春までに札幌赴任,6年に竣工する開拓使本庁舎以下一連の洋風建築の建設に当たった。正規の判任官ではないが,その待遇からみて開拓使営繕課設計チームを主導する地位にあったと推定される。開拓使後半期の札幌農学校家畜房(1877),同演武場(1878),豊平館(1880)などが現存し,安達の代表作とされている。明治初期の洋風建築のなかでは堅実なデザインと建築技術の把握で高い水準を示している。

(越野武)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安達喜幸」の解説

安達喜幸 あだち-よしゆき

1827-1884 明治時代建築家
文政10年11月生まれ。大工棟梁(とうりょう)職の家に生まれ,明治7年開拓使首席建築家となる。お雇い外国人からまなんだ技術をとりいれ,豊平館,札幌農学校演武場(時計台)などの洋風建築を設計した。明治17年1月17日死去。58歳。江戸出身。本姓は安槌。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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