宍人村(読み)ししうどむら

日本歴史地名大系 「宍人村」の解説

宍人村
ししうどむら

[現在地名]園部町宍人

下新江(しもにえ)村と大坪(おおつぼ)村・西山(にしやま)村(大西村)の南に位置し、東は西半田(にしはんだ)村、南は埴生(はぶ)村・八田(はつた)村に、西は下天引(しもあまびき)村と上新江村・摩気(まけ)村・篠田(しのだ)村(竹井村)。中央部を園部川の支流本梅(ほんめ)川が北流し、沿岸に耕地があり、集落も沿岸北部にある。広大な村であるが大部分は山地。

宍人村は室町時代、北野(きたの)社領船井庄の一村で、「北野社家日記」長享三年(一四八九)五月二六日条に載る舟井庄十一村闕所分目録に「宍人村内案主一類・小畠弾正・小畠小太郎・善応寺西山清水」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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