宗像庄
むなかたのしよう
宗像庄とは宗像社の社領全体をさす場合と、宗像社領の一部をさす場合があった。後者には現宗像市土穴・稲元・須恵・曲と鞍手郡若宮町の山口が含まれる。建長元年(一二四九)九月一七日の西園寺実氏政所下文(宗像大社所蔵文書/鎌倉遺文一〇)の宛所に「宗像庄官等」とみえ、宗像社の領家西園寺実氏が藤原為頼(武藤為頼・覚然)を土穴・稲本・須恵三ヵ村の名主職に補任している。文永六年(一二六九)二月日付の預所橘知嗣が宗像庄官等に下した下文(同文書/鎌倉遺文一四)によると、庄内の三ヵ村を承久二年(一二二〇)張氏が養子の武藤覚然に自筆の譲状で譲っている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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