宗甫分村(読み)そうほぶんむら

日本歴史地名大系 「宗甫分村」の解説

宗甫分村
そうほぶんむら

[現在地名]前橋市南町みなみちよう一―二丁目

北は紅雲分こううんぶん村、東は前代田まえしろた村・市之坪いちのつぼ村、南は六供ろつく村、西の利根川対岸の小相木こあいぎ村との間は真政さねまさ渡で結ばれていた。村名は戦国時代後期の小田原北条氏麾下の武将の名によると思われ、永禄二年(一五五九)の「小田原衆所領役帳」によれば、「役御免御奏者宗甫」の名があり、虎印判状の奏者を勤めた間宮豊前守政光の入道名とされる。寛文郷帳では田方五六九石三斗余・畑方一九八石七斗余とある。享保一一年(一七二六)検地帳(前橋市役所蔵)によれば、田二七町五反余・畑八町八反余である。天明三年(一七八三)浅間山噴火により、「少泥入実正御番所流失」の被害を受けている(浅間嶽焼荒記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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