宝庫野村
ほうこのむら
[現在地名]大村市桜馬場
大村の北に位置する。江戸時代は大村藩領で、地方地区に属する。江戸初期までは放虎原と称される原野地で、大村領内の斬罪場の地として知られた。明暦三年(一六五七)に発覚した郡崩れではキリシタンの処刑場になった(大村見聞集)。天和三年(一六八三)須田ノ木の者が宝庫野の斬罪場で処刑された(大村郷村記)。貞享二年(一六八五)「宝庫野ノ又兵衛獄」から川棚村(現川棚町)の者が脱走する事件が起きた。元禄八年(一六九五)主人殺しの者が自殺したが、その遺体を宝庫野に磔にし、その父を獄につないでいる(以上「九葉実録」)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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