実谷村(読み)じつこくむら

日本歴史地名大系 「実谷村」の解説

実谷村
じつこくむら

[現在地名]御宿町実谷

上布施かみぶせ村の南西、夷隅川支流落合おちあい川上流の山間部に立地する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に「亥ハ谷村」とみえ、高二九〇石。享保二〇年(一七三五)編の上総国御分限帳(愛知県岡崎市郷土館蔵)によれば、慶長四年―元和三年(一五九九―一六一七)の大多喜藩主本多忠朝の治世下、家臣の鈴木長兵衛が禄高四〇〇石のうち四〇石を、松下嘉兵衛が禄高一二〇石のうち一〇石を、それぞれ実谷のうちで与えられている。元禄郷帳には実谷村とあり、高三四七石余。元禄一五年(一七〇二)旗本大久保領になったとみられる(寛政重修諸家譜)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では上布施村に含まれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む