上布施村(読み)かみぶせむら

日本歴史地名大系 「上布施村」の解説

上布施村
かみぶせむら

[現在地名]御宿町上布施大原おおはら町上布施

高山田たかやまだ村の北西に位置する。北は下布施村(現大原町)。もと下布施村と合せて布施ふせ(布施郷とも)として一村であったが、慶安年間(一六四八―五二)頃上・下に分村して成立したといい、同五年の上布施村の高二千二六一石余(御宿町史料)。ただし享保二〇年(一七三五)編の上総国御分限帳(愛知県岡崎市郷土館蔵)によれば、慶長四年―元和三年(一五九九―一六一七)大多喜藩主本多忠朝の治世下、家臣の江川彦左衛門は禄高一五〇石のうち上布施のうちで一〇石を与えられている。


上布施村
かんぶせむら

[現在地名]長野市川中島町御厨みくりや 上布施

戸部とべ村の北にあり、東は西寺尾にしでらお村、西は藤牧ふじまき村飛地西藤牧にしふじまきに接する。枝郷下布施しもぶせは東二キロの地にあり、北は広田ひろだ村、東は西寺尾村に接する。慶長七年(一六〇二)の川中島四郡検地打立之帳(小柳文書)に「弐百六拾壱石九斗四升 上布施村」とみえる。

文和二年(一三五三)創建といわれる光明山常行じようぎよう寺は寺浦てらうらにある。浄土宗寺院で本尊阿弥陀如来開山は月秀善室である。「鎌倉光明寺志」によると月秀は信濃の人で、この頃西条にしじよう(現長野市松代町)西楽さいらく寺を中興し、東条ひがしじよう(現長野市松代町)長命ちようめい寺を創建している。


上布施村
うえふせむら

[現在地名]仁多町佐白さじろ

前布施まえふせ村の北に位置し、北の佐白村から西方(現木次町)へ通ずる山間に立地する。西は下布施しもふせ(現同上)中世布勢ふせ郷に含まれた。正保国絵図に村名がみえる。慶安三年(一六五〇)前布施村を含む上布施村検地帳写によると、当村分の田高一二〇石・反別九町九反余、畑高五四石余・反別九町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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