宮崎車之助(読み)みやざき しゃのすけ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮崎車之助」の解説

宮崎車之助 みやざき-しゃのすけ

1839-1876 幕末-明治時代武士,士族
天保(てんぽう)10年生まれ。筑前(ちくぜん)(福岡県)秋月藩士で,維新後は藩の少参事。神風連の乱に呼応し,明治9年10月27日弟の今村百八郎らと挙兵(秋月の乱)。小倉鎮台兵に敗れ,同年11月1日磯淳(いそ-あつし)ら同志6人と自決した。38歳。名は重遠。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の宮崎車之助の言及

【秋月の乱】より

…秋月党の主張は主として国権の拡張にあり,とくに〈征韓〉問題に対する政府の処置に反対した。福岡県士族(旧秋月藩士)宮崎車之助,今村百八郎(宮崎の実弟),磯淳らは,神風連の挙兵(10月24日)を知り,10月27日,約250名(400名とも500名ともいう)で立ち上がり,豊前豊津に入り,旧小倉の士族を強誘して萩の前原軍(10月28日挙兵)と合流を企図した。しかし,小倉の士族は呼応せず,福岡・小倉の政府軍にほどなく鎮圧された。…

※「宮崎車之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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