朝日日本歴史人物事典 「宮崎車之助」の解説
宮崎車之助
生年:天保6(1835)
秋月の乱の一党。筑前(福岡県)秋月藩士宮崎丹下の次男。諱は重遠。幕末期には藩内勤王派に属し,維新後,秋月藩少参事に任じたが,明治3(1870)年,長州脱隊兵騒動の首謀者大楽源太郎の潜行を支援した廉で譴責された。廃藩置県後,国権確立運動に力を入れ,征韓論政変以後は反政府士族の武力蜂起に期待をかけ,肥後の神風連(敬神党),長州萩の前原一誠の一党と気脈を通じた。9年10月,神風連が蜂起するや,同志磯淳,実弟今村百八郎,益田静方らと決起(秋月の乱)したが,豊津の戦いに敗北して同志7名と自刃した。そのなかには実弟宮崎哲之助(25歳)もいた。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報