宮時庄(読み)みやときのしよう

日本歴史地名大系 「宮時庄」の解説

宮時庄
みやときのしよう

宮永みやながを中心として中殿なかどの付近まで散在していたと考えられる庄園。大家おおえ郷内に成立した(応永三三年七月六日「弘道打渡状」永弘文書など)。正嘉二年(一二五八)二月一六日上毛こうげ(現福岡県)の公田吉富よしどみ名主中に、地頭の命に従わずと訴えられた宮時入道明阿の名がみえ(「関東御教書案」末久文書)、あるいは古くはこの人の名田であったのであろうか。至徳元年(一三八四)一一月三日の宇佐大宮司家御教書(永弘文書)宇佐宮御供物御油用途の「下毛郡宮時」がみえる。のちに永弘重行が当庄は宇佐宮成立以来、同宮御供所免田として番長職永弘氏が代々進止してきたと主張するように(年未詳一一月二一日「永弘重行書状案」同文書)、当庄と永弘氏のかかわりは深かった。しかし南北朝期には一時、吉用氏が押領していた(至徳二年一一月二〇日「沙弥二名連署書下」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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