宮本元甫(読み)みやもと・げんぽ

朝日日本歴史人物事典 「宮本元甫」の解説

宮本元甫

没年:慶応2(1866)
生年:寛政8(1796)
江戸後期の蘭方医。名は寛,字は子裕,通称は元甫,号は葵園,鉅鹿。大垣藩(岐阜県)藩医田結道需の次男。幼くして菱田毅斎儒学を学ぶ。文政10(1827)年32歳で飯沼慾斎の義弟飯沼玄礼と共に長崎遊学,吉雄権之助について蘭学を,シーボルトについて医学を学ぶ。京都に開業するが,その居宅が蘭方新宮凉庭 の南隣にあり,凉庭にその人柄と才能を認められ東山の順正書院で蘭書を講義。のち凉庭の推挙によって高槻藩医となる。塾名を和為貴塾と称した。博覧強記で「オランダ字典」と称された。<著作>『瘍科新選』『黴科捷径』『産科須知』

(遠藤正治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮本元甫」の解説

宮本元甫 みやもと-げんぽ

1796-1866 江戸時代後期の蘭方医。
寛政8年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)大垣藩医の子。中年になって長崎に遊学,吉雄権之助に蘭方をまなぶ。京都で開業,新宮凉庭(しんぐう-りょうてい)とまじわり,その塾生をおしえた。のち摂津高槻(たかつき)藩(大阪府)の藩医。慶応2年死去。71歳。本姓は田結。名は寛。字(あざな)は子裕。号は葵園。訳書に「産科須知(すち)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例