江戸末期の蘭方医(らんぽうい)。丹後国(たんごのくに)与謝(よさ)郡由良(ゆら)(京都府宮津市)の新宮義憲の長子。名は碩。通称が凉亭、凉庭。駆豎斎(くじゅさい)、鬼国山人などと号す。伯父で福知山藩医の有馬凉築に漢方を学び、16歳のとき従兄(いとこ)有馬丹山に従い江戸に2年滞在ののち、帰郷して開業。1810年(文化7)蘭方医を志し、治療や名医を訪ねながら1813年に長崎に到着。吉雄如淵(よしおじょえん)(権之助(ごんのすけ)、1785―1831)らに師事、蘭館長ドゥーフに認められ館医の指導を受け、医学・オランダ語に熟達した。1818年(文政1)帰郷、翌1819年京都に開業。1825年シーボルトの入洛(にゅうらく)時に訪問。1839年(天保10)南禅寺畔に順正書院を設立、医学を8学科とし系統的に教育し、経書も講じた。友人や名士が多数訪れ洛中(らくちゅう)の一名所となった。理財の才にたけ、南部藩、越前(えちぜん)藩などの財政改革に協力、金融もした。一門の繁栄を考え養子4分家案を実行した。嘉永(かえい)7年1月9日没。墓所は京都市左京区南禅寺天授庵(あん)。著作に『破レ家ノツヾクリ話』『西遊日記』『駆豎斎方府』『泰西疫論』『療治瑣言(さげん)』『神経疫論』『生理則』『解体則』『窮理外科則』『人身分離則』『但泉紀行』『駆豎斎家訓』などがある。
[末中哲夫]
『山本四郎著『新宮凉庭傳』(1968・ミネルヴァ書房)』
(山本四郎)
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…このほか由良川のサケ漁,丹後半島北部海岸で行われた海女の潜海漁業も注目すべきものである。
[文化と社会]
文化学術に功績を残した人に,まず医学者新宮凉庭があげられる。加佐郡由良村(現,宮津市)の出身で長崎で蘭学を学び,1839年(天保10)京都東山に順正書院を開き,多数の医学生を育てた。…
※「新宮凉庭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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