司馬江漢(読み)しばこうかん

精選版 日本国語大辞典 「司馬江漢」の意味・読み・例文・類語

しば‐こうかん【司馬江漢】

江戸後期の画家、思想家。本名安藤吉次郎。江戸の人。はじめ狩野派を学び、さらに浮世絵写生画を描いていたが、後年洋風画に転じ、また銅版画を作る。思想家としても地動説の紹介など進歩的立場をとった。代表作「地球全図(略説)」「刻白爾(コッペル)天文図解」、著「春波楼筆記」。延享四~文政元年(一七四七‐一八一八

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デジタル大辞泉 「司馬江漢」の意味・読み・例文・類語

しば‐こうかん〔‐カウカン〕【司馬江漢】

[1747~1818]江戸後期の洋風画家。江戸の人。本名、安藤吉次郎。別号、春波楼など。鈴木春信門下浮世絵師となるが、のち写生体の漢画、美人画を描き、さらに平賀源内らの影響で洋風画に転じた。日本で最初のエッチングを制作、油彩による風景図も多数描いた。また、地動説など自然科学の紹介にも努め、随筆にもすぐれた。著「地球全図略説」「春波楼筆記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「司馬江漢」の意味・わかりやすい解説

司馬江漢
しばこうかん
(1747―1818)

江戸中期の洋風画家。1738年生まれ説は、晩年の9歳加算年齢に惑わされた誤り。本姓安藤、名は吉次郎、のち土田氏に入夫(にゅうふ)、勝三郎または孫太夫といった。青年時代の浮世絵師としては(鈴木)春重(はるしげ)、肉筆美人画では蕭亭(しょうてい)春重と称したが、中年以降の漢画と洋風画では姓を司馬、名を峻(しゅん)、字(あざな)を君嶽(くんがく)、号を江漢、春波楼(しゅんぱろう)と称し、晩年には不言(ふげん)、無言(むごん)、桃言(とうげん)などと号した。

 少年時代に江戸狩野(かのう)の画人に学んだが、父の死にあい鈴木春信(すずきはるのぶ)の門下に転じて、春重の名を与えられ浮世絵版画に従事。1770年(明和7)春信の急死に乗じ、その偽版をつくったところ、だれも見破る者がなかったと自称しているが、これは版元の命による代作であったと考えられ、あるいは2世春信として認められたうえでの制作であったかもしれない。やがて浮世絵版画界を去り、宋紫石(そうしせき)(楠本雪渓(くすもとせっけい))から南蘋(なんぴん)派の写生体漢画を学び、かたわら1781年(天明1)ごろまで肉筆美人画も多く描いた。1780年(安永9)前後、洋学の先駆者平賀源内の影響と秋田蘭画(らんが)の小田野直武(おだのなおたけ)の指導を受けて、洋風画に転向し、1783年(天明3)大槻玄沢(おおつきげんたく)の協力を得て、日本最初のエッチング(腐食銅版画)をつくった。以後は西洋銅版画の模刻と日本風景の銅版画を多く制作し、また油絵も習得した。1788年長崎に旅行したが、その際にオランダ人から洋画を学んだという説は誤りである。江戸に帰ってから、18世紀末より19世紀初頭にかけて、多数の油彩日本風景図を描き、洋風画の普及に尽くした。また、このころから西洋自然科学の普及に努め、『地球全図略説』(1793)『和蘭(オランダ)通舶』(1805)『和蘭天説』(1796)『刻白爾(コッペル)天文図解』(1808)などを著して万国地理や地動説を紹介し、『西洋画談』(1799)を出版して西洋画の写実の優秀性を説いた。

 1808年(文化5)正月、62歳のとき年齢を9歳加え、以後は加算年齢を自称し、1813年に偽って死亡通知を配付するなど、晩年は奇行が多かったが、『独笑妄言(どくしょうもうげん)』(1810)『春波楼筆記』『無言道人筆記』(1814)などの随筆により、独特の人生哲学を説き、人間の平等や開国について論ずるなど、進歩的思想家や随筆文学者として注目すべき業績をあげた。江漢は、近代以前のもっとも有名な洋風画家なので、いまだに誤って日本洋画の開祖とされることがあり、また彼の款印を入れた偽物も非常に多い。文政(ぶんせい)元年10月21日没。

[成瀬不二雄 2016年5月19日]

『成瀬不二雄著『日本美術絵画全集25 司馬江漢』(1977/普及版・1980・集英社)』『細野正信著『司馬江漢』(1974・読売新聞社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「司馬江漢」の意味・わかりやすい解説

司馬江漢 (しばこうかん)
生没年:1747-1818(延享4-文政1)

江戸時代の洋風画家,思想家。生年には1738年(元文3)説もあるが,これは晩年の9歳加算年齢に惑わされた誤りである。江戸に生まれ,本名は安藤吉次郎,のち土田氏に入夫して勝三郎または孫太夫といったと伝える。画家として姓を司馬,名を峻(しゆん),字を君岳(くんがく)と称したが,青年期の浮世絵師時代には鈴木春重,肉筆美人画では蕭亭(しようてい)春重,漢画と洋風画では江漢,春波楼(しゆんぱろう),晩年には不言,無言,桃言などと多くの号がある。少年期に江戸狩野に入門し,のち鈴木春信門下の浮世絵師となり,1770年(明和7)春信の急死後,おそらく版元の強請によりその偽版を作った。その後間もなく浮世絵界を去り,南蘋(なんぴん)派の宋紫石から写生体花鳥画を学び,漢画家となったが,肉筆美人画も描いた。80年(安永9)ころに平賀源内と秋田蘭画の小田野直武の影響により洋風画に転向し,83年(天明3)日本最初の腐蝕銅版画(エッチング)を作り,以後西洋銅版画の模刻と日本風景の銅版画を制作し,油絵も習得した。88年長崎に旅行し,18世紀末から19世紀初頭にかけて油絵の洋人図や日本風景図を多く描き,その一部を懸額として各地の社寺に奉納し,洋風画の普及に尽くした。また,このころから西洋自然科学の紹介者としても活躍し,《地球全図略説》《刻白爾(コツペル)天文図解》などの著書を出版して,世界の地理風俗や地動説の知識を説いた。彼は生来自意識が強かったが,晩年は特に奇行が多く,1808年(文化5)正月62歳のとき年齢を9歳加え,以後加算年齢を称した。13年には偽って死亡通知を配付したこともある。また禅宗や老荘思想にも親しみ,哲学,随筆文学の業績もあり,その思想を説いた《独笑妄言》(1810),《春波楼筆記》(1811),《無言道人筆記》(1814)などを書いた。晩年の画作には在来の伝統的な画法による思想的教訓画が多いが,12年京都滞在中に描いた富士図の連作には,和洋の画法が見事に融合した傑作がある。
執筆者: 司馬江漢は西洋の天文学,地理学を日本に紹介することにおいても貢献した。中でも有名なのは日本最初の銅版世界図《輿地全図》(1792)の刊行である。当時大槻玄沢所蔵のT.コバン,C.モルティエ共編のフランス語版双円世界図(刊年不詳)を翻訳し,日本の北辺一帯を改訂したものである。同年刊行の《輿地略説》はその解説書で,のちこれらは《地球図》,また《地球全図略説》と改題増補された。後者では天動説のほかに地動説があることを述べ,さらに《和蘭天説》(1796),《刻白爾天文図解》(1808)では地動説を力説している。天文関係の著作としては,ほかに《天球図》(1796),《屋耳列礼(ヲルレレイ)図解》(1796),《地転儀略図解》(1808?)その他,地理関係としてはアフリカ南端から日本までを含む《和蘭瀕海之図》(1805)およびその解説書《和蘭通舶》(1805),《地球楕円図》(刊年不詳)があり,天文,地理の両方にまたがるものとして《天地理譚》(1816,稿)がある。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「司馬江漢」の意味・わかりやすい解説

司馬江漢【しばこうかん】

江戸後期の洋風画家,蘭学者。本姓安藤,名は峻,字は君嶽。絵は初め狩野派に学び,さらに鈴木春信風の美人画を描いたりしたが,やがて平賀源内と出会い西洋画に傾倒。前野良沢の門に入り,蘭書を通して西洋画法を独学した。《三囲(みめぐり)景図》(1783年)は日本人による最初の銅版画として名高い。油絵の代表作に《異国風景人物図》(双幅)がある。写実的表現における西洋画の優位性を説いた《西洋画談》を著し,《刻白爾(コッペル)天文図解》などによって地動説の啓蒙に努めるなど,著述活動も精力的で,随筆集《春波楼筆記》も著名。晩年は老荘や禅などの東洋思想に傾いた。

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朝日日本歴史人物事典 「司馬江漢」の解説

司馬江漢

没年:文政1.10.21(1818.11.19)
生年:延享4(1747)
江戸後期の洋風画家。江戸生まれ。本名安藤吉次郎,のち土田姓。司馬姓は早くから芝新銭座に居住したことに由来。名を峻,字を君岳といい,江漢のほか,春波楼,桃言,不言などと号した。才能は多岐にわたり,画業のほか,西洋自然科学の啓蒙的紹介者,思想家,文筆家でもあった。画業は狩野派から出発し,浮世絵(鈴木春重と称した),南蘋派を学んだのち,安永年間(1772~81)に平賀源内を知り洋風画,窮理学に関心を持ち,小田野直武に洋風画法を学ぶ。天明3(1783)年,大槻玄沢の助力を得て腐蝕銅版画の創製に成功,「三囲景図」を出した。秋田蘭画を展開し,西洋画法による日本風景図を確立した。寛政年間(1789~1801)には油彩画を制作,また,『地球全図略説』『和蘭天説』など著述を相次いで刊行し,寛政11年『西洋画談』を出版した。文化年間(1804~18)から隠遁の心境を示し,画業でも油絵から墨画淡彩の日本風景図をよくした。奇行が多く,文化5年から年齢に9歳加算して自称するようになった。晩年の著述に『春波楼筆記』など。洋風画に「七里浜図」(大和文華館蔵)ほか。

(三輪英夫)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「司馬江漢」の意味・わかりやすい解説

司馬江漢
しばこうかん

[生]延享4(1747)頃.江戸,本芝
[没]文政1(1818).10.21.
江戸時代後期の画家,思想家。本名安藤勝三郎または吉次郎。名は峻,字は君嶽。無言道人,春波楼とも号する。また鈴木春信の浮世絵の影響を受け,鈴木春重を名のった。初め狩野派,次いで宋紫石から南蘋派を学ぶ。のち平賀源内と交わり,遠近法,色彩,陰影など西洋画の影響を受け,油絵による日本の風景画も描いた。天明3 (1783) 年日本で初めてエッチング (銅版画) に成功。代表作『三囲之景 (みめぐりのけい) 』『銅版地球全図』など。同8年に京都,長崎,平戸などを歴遊,翌年『西遊旅譚』を著わす。主著は『西洋画談』 (99) ,『和蘭通舶』 (1805) ,『独笑妄言』 (10) ,『天地理談』 (14) ,『西遊日記』 (15) などで,地動説の普及に努め,封建的身分制度や鎖国を批判する傾向もみられる。晩年には禅宗や老荘思想に親しんだ。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「司馬江漢」の解説

司馬江漢
しばこうかん

1747~1818.10.21

江戸中・後期の洋風画家。江戸生れ。本姓安藤氏。明和・安永年間を中心に狩野派・南蘋(なんぴん)派・浮世絵派などの多様な画法を習得した後,写実的な表現への指向を明確にする。1783年(天明3)日本最初の腐食銅版画(エッチング)の制作に成功。寛政年間以降,油彩画の制作が盛んになり,西洋画の模写をへて,油彩画の技法による日本風景画を完成した。天文学・地理学など西洋の学問への強い関心を示したが,晩年の言動には老荘思想の影響が色濃く,絵画制作にも東洋への回帰が認められる。代表作「三囲景図(みめぐりけいず)」「相州鎌倉七里浜図」,著書「西洋画談」「和蘭天説」「西遊(さいゆう)日記」「春波楼(しゅんぱろう)筆記」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「司馬江漢」の解説

司馬江漢 しば-こうかん

1747-1818 江戸時代中期-後期の画家,蘭学者。
延享4年生まれ。狩野派,南蘋(なんぴん)派の画法をまなぶ。のち平賀源内らの影響をうけ洋風画を研究,天明3年わが国初の腐食銅版画を制作。油彩の風景画を手がけ,西洋の天文学,地理学も紹介した。文政元年10月21日死去。72歳。江戸出身。本姓は安藤。名は峻(たかし)。字(あざな)は君岳。別号に無言道人など。著作に「和蘭天説」「春波楼筆記」など。

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旺文社日本史事典 三訂版 「司馬江漢」の解説

司馬江漢
しばこうかん

1747〜1818
江戸後期の洋画家
本名安藤勝三郎。江戸の人。初め美人画を描いたが,蘭書によりわが国最初の銅版画を作製し,油絵による風景画も試みた。西洋事情にも関心をもち,鎖国や封建的身分制度にも批判的であった。代表作に『不忍池図』など。

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世界大百科事典(旧版)内の司馬江漢の言及

【春波楼筆記】より

…江戸後期の蘭学者,洋画家として知られる司馬江漢が著した随筆集。1811年(文化8)成立。…

【銅版画】より


[日本における銅版画]
 日本には16世紀末にイエズス会によって彫刻銅版画(エングレービング)が導入されたが,17世紀初めにキリシタン弾圧によって断絶した。18世紀後半に司馬江漢がエッチングを再興し,亜欧堂田善,安田雷洲ら注目すべき作家を生んだ。開国後イタリアから招聘したキヨソーネが再びエングレービングを教え,腐食法とともに実用的な挿図,地図などに用いられた。…

【洋風画】より

…したがって,彼らにとって西洋原画の模写はおもに画法習得のためであり,第1期の洋風画家のように目的そのものではなかった。西洋画研究の材料となった図書や版画は長崎を通じて輸入されたが,第2期洋風画の主流はむしろ新興文化の中心である江戸にあり,この地には18世紀後半以後,秋田蘭画の小田野直武,佐竹曙山(義敦),また司馬江漢,亜欧堂田善,そして安田雷洲らの洋風画家があいついで登場した。秋田蘭画は和洋折衷の作風を示し,油絵や銅版画を作らなかったが,司馬江漢以後の人々はこれらの新技術を駆使して,多くの洋風画を制作した。…

※「司馬江漢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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