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司馬江漢 しば こうかん

美術人名辞典の解説

司馬江漢

江戸後期の画家。江戸生。本姓は安藤のち上田。名は峻、通称は勝三郎・吉次郎、字は君嶽、別号春波楼・西洋道人等がある。狩野古信に学び、さらに鈴木春信浮世絵を、のち宋紫石から南蘋派を学ぶ。また平賀源内の影響を受けて小田野直武より西洋画法を学び、腐蝕銅版画の製法を修得して日本最初の銅版画を創始する。さらに油彩画も制作、西洋画法による日本風景図を確立した。晩年は西洋科学の紹介者としても活躍。著に『春波楼筆記』等。文政元年(1818)歿、81才。

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デジタル大辞泉の解説

しば‐こうかん〔‐カウカン〕【司馬江漢】

[1747~1818]江戸後期の洋風画家。江戸の人。本名、安藤吉次郎。別号、春波楼など。鈴木春信門下の浮世絵師となるが、のち写生体の漢画美人画を描き、さらに平賀源内らの影響で洋風画に転じた。日本で最初のエッチングを制作、油彩による風景図も多数描いた。また、地動説など自然科学の紹介にも努め、随筆にもすぐれた。著「地球全図略説」「春波楼筆記」など。

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百科事典マイペディアの解説

司馬江漢【しばこうかん】

江戸後期の洋風画家,蘭学者。本姓安藤,名は峻,字は君嶽。絵は初め狩野派に学び,さらに鈴木春信風の美人画を描いたりしたが,やがて平賀源内と出会い西洋画に傾倒。前野良沢の門に入り,蘭書を通して西洋画法を独学した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

司馬江漢 しば-こうかん

1747-1818 江戸時代中期-後期の画家,蘭学者。
延享4年生まれ。狩野派,南蘋(なんぴん)派の画法をまなぶ。のち平賀源内らの影響をうけ洋風画を研究,天明3年わが国初の腐食銅版画を制作。油彩の風景画を手がけ,西洋の天文学,地理学も紹介した。文政元年10月21日死去。72歳。江戸出身。本姓は安藤。名は峻(たかし)。字(あざな)は君岳。別号に無言道人など。著作に「和蘭天説」「春波楼筆記」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

司馬江漢

没年:文政1.10.21(1818.11.19)
生年:延享4(1747)
江戸後期の洋風画家。江戸生まれ。本名安藤吉次郎,のち土田姓。司馬姓は早くから芝新銭座に居住したことに由来。名を峻,字を君岳といい,江漢のほか,春波楼,桃言,不言などと号した。才能は多岐にわたり,画業のほか,西洋自然科学の啓蒙的紹介者,思想家,文筆家でもあった。画業は狩野派から出発し,浮世絵(鈴木春重と称した),南蘋派を学んだのち,安永年間(1772~81)に平賀源内を知り洋風画,窮理学に関心を持ち,小田野直武に洋風画法を学ぶ。天明3(1783)年,大槻玄沢の助力を得て腐蝕銅版画の創製に成功,「三囲景図」を出した。秋田蘭画を展開し,西洋画法による日本風景図を確立した。寛政年間(1789~1801)には油彩画を制作,また,『地球全図略説』『和蘭天説』など著述を相次いで刊行し,寛政11年『西洋画談』を出版した。文化年間(1804~18)から隠遁の心境を示し,画業でも油絵から墨画淡彩の日本風景図をよくした。奇行が多く,文化5年から年齢に9歳加算して自称するようになった。晩年の著述に『春波楼筆記』など。洋風画に「七里浜図」(大和文華館蔵)ほか。

(三輪英夫)

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江戸・東京人物辞典の解説

司馬江漢

1747〜1818(延享4年〜文政元年)【洋風画家】平賀源内と出会い、西洋画に開眼。 日本画に初めて油彩画の技法を応用した。江戸後期の洋風画家。蘭学者。江戸出身。はじめ鈴木春信に浮世絵を学び、ついで写生画に転じた。その後、長崎のオランダ人に学んで洋画に傾倒、日本で初めての銅版画を制作し、油絵も描いた。西洋画の普及にも貢献。

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世界大百科事典 第2版の解説

しばこうかん【司馬江漢】

1747‐1818(延享4‐文政1)
江戸時代の洋風画家,思想家。生年には1738年(元文3)説もあるが,これは晩年の9歳加算年齢に惑わされた誤りである。江戸に生まれ,本名は安藤吉次郎,のち土田氏に入夫して勝三郎または孫太夫といったと伝える。画家として姓を司馬,名を峻(しゆん),字を君岳(くんがく)と称したが,青年期の浮世絵師時代には鈴木春重,肉筆美人画では蕭亭(しようてい)春重,漢画と洋風画では江漢,春波楼(しゆんぱろう),晩年には不言,無言,桃言などと多くの号がある。

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大辞林 第三版の解説

しばこうかん【司馬江漢】

1747~1818) 江戸後期の洋風画家・蘭学者・随筆家。江戸の人。本名、安藤峻。初め鈴木春信に浮世絵を学んだが、平賀源内と交わって洋画に開眼、蘭書によって銅版画の創製に成功、また油絵の製作に打ち込んだ。西洋理学に興味をもち、地動説を紹介。著「西遊日記」「春波楼筆記」「天地理譚」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

司馬江漢
しばこうかん

[生]延享4(1747)頃.江戸,本芝
[没]文政1(1818).10.21.
江戸時代後期の画家,思想家。本名安藤勝三郎または吉次郎。名は峻,字は君嶽。無言道人,春波楼とも号する。また鈴木春信の浮世絵の影響を受け,鈴木春重を名のった。初め狩野派,次いで宋紫石から南蘋派を学ぶ。のち平賀源内と交わり,遠近法,色彩,陰影など西洋画の影響を受け,油絵による日本の風景画も描いた。天明3 (1783) 年日本で初めてエッチング (銅版画) に成功。代表作『三囲之景 (みめぐりのけい) 』『銅版地球全図』など。同8年に京都,長崎,平戸などを歴遊,翌年『西遊旅譚』を著わす。主著は『西洋画談』 (99) ,『和蘭通舶』 (1805) ,『独笑妄言』 (10) ,『天地理談』 (14) ,『西遊日記』 (15) などで,地動説の普及に努め,封建的身分制度や鎖国を批判する傾向もみられる。晩年には禅宗や老荘思想に親しんだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

司馬江漢
しばこうかん
(1747―1818)

江戸中期の洋風画家。1738年生まれ説は、晩年の9歳加算年齢に惑わされた誤り。本姓安藤、名は吉次郎、のち土田氏に入夫(にゅうふ)、勝三郎または孫太夫といった。青年時代の浮世絵師としては(鈴木)春重(はるしげ)、肉筆美人画では蕭亭(しょうてい)春重と称したが、中年以降の漢画と洋風画では姓を司馬、名を峻(しゅん)、字(あざな)を君嶽(くんがく)、号を江漢、春波楼(しゅんぱろう)と称し、晩年には不言(ふげん)、無言(むごん)、桃言(とうげん)などと号した。
 少年時代に江戸狩野(かのう)の画人に学んだが、父の死にあい鈴木春信(すずきはるのぶ)の門下に転じて、春重の名を与えられ浮世絵版画に従事。1770年(明和7)春信の急死に乗じ、その偽版をつくったところ、だれも見破る者がなかったと自称しているが、これは版元の命による代作であったと考えられ、あるいは2世春信として認められたうえでの制作であったかもしれない。やがて浮世絵版画界を去り、宋紫石(そうしせき)(楠本雪渓(くすもとせっけい))から南蘋(なんぴん)派の写生体漢画を学び、かたわら1781年(天明1)ごろまで肉筆美人画も多く描いた。1780年(安永9)前後、洋学の先駆者平賀源内の影響と秋田蘭画(らんが)の小田野直武(おだのなおたけ)の指導を受けて、洋風画に転向し、1783年(天明3)大槻玄沢(おおつきげんたく)の協力を得て、日本最初のエッチング(腐食銅版画)をつくった。以後は西洋銅版画の模刻と日本風景の銅版画を多く制作し、また油絵も習得した。1788年長崎に旅行したが、その際にオランダ人から洋画を学んだという説は誤りである。江戸に帰ってから、18世紀末より19世紀初頭にかけて、多数の油彩日本風景図を描き、洋風画の普及に尽くした。また、このころから西洋自然科学の普及に努め、『地球全図略説』(1793)『和蘭(オランダ)通舶』(1805)『和蘭天説』(1796)『刻白爾(コッペル)天文図解』(1808)などを著して万国地理や地動説を紹介し、『西洋画談』(1799)を出版して西洋画の写実の優秀性を説いた。
 1808年(文化5)正月、62歳のとき年齢を9歳加え、以後は加算年齢を自称し、1813年に偽って死亡通知を配付するなど、晩年は奇行が多かったが、『独笑妄言(どくしょうもうげん)』(1810)『春波楼筆記』『無言道人筆記』(1814)などの随筆により、独特の人生哲学を説き、人間の平等や開国について論ずるなど、進歩的思想家や随筆文学者として注目すべき業績をあげた。江漢は、近代以前のもっとも有名な洋風画家なので、いまだに誤って日本洋画の開祖とされることがあり、また彼の款印を入れた偽物も非常に多い。文政(ぶんせい)元年10月21日没。[成瀬不二雄]
『成瀬不二雄著『日本美術絵画全集25 司馬江漢』(1977/普及版・1980・集英社) ▽細野正信著『司馬江漢』(1974・読売新聞社)』

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世界大百科事典内の司馬江漢の言及

【春波楼筆記】より

…江戸後期の蘭学者,洋画家として知られる司馬江漢が著した随筆集。1811年(文化8)成立。…

【銅版画】より


[日本における銅版画]
 日本には16世紀末にイエズス会によって彫刻銅版画(エングレービング)が導入されたが,17世紀初めにキリシタン弾圧によって断絶した。18世紀後半に司馬江漢がエッチングを再興し,亜欧堂田善,安田雷洲ら注目すべき作家を生んだ。開国後イタリアから招聘したキヨソーネが再びエングレービングを教え,腐食法とともに実用的な挿図,地図などに用いられた。…

【洋風画】より

…したがって,彼らにとって西洋原画の模写はおもに画法習得のためであり,第1期の洋風画家のように目的そのものではなかった。西洋画研究の材料となった図書や版画は長崎を通じて輸入されたが,第2期洋風画の主流はむしろ新興文化の中心である江戸にあり,この地には18世紀後半以後,秋田蘭画の小田野直武,佐竹曙山(義敦),また司馬江漢,亜欧堂田善,そして安田雷洲らの洋風画家があいついで登場した。秋田蘭画は和洋折衷の作風を示し,油絵や銅版画を作らなかったが,司馬江漢以後の人々はこれらの新技術を駆使して,多くの洋風画を制作した。…

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