デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮道弥益」の解説 宮道弥益 みやじの-いやます ?-? 平安時代前期の豪族。山城(京都府)宇治郡の郡司。元慶(がんぎょう)6年(882)従五位上となり,ときに主計頭(かずえのかみ)。娘列子が藤原高藤にとつぎ,その娘胤子(いんし)が宇多天皇女御(にょうご)となり醍醐(だいご)天皇を生む。外戚(がいせき)として宮内大輔(たいふ)にのぼったという。居宅はのち勧修寺(かじゅうじ)となった。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「宮道弥益」の解説 宮道弥益 生年:生没年不詳 平安初期の豪族。山城国宇治郡の郡司で山科栗栖野(京都市山科区)に住む。娘列子と大臣藤原高藤の間に生まれた胤子が宇多天皇の女御となって醍醐天皇を生み,外戚として栄えた。醍醐天皇が母のため栗栖野の居宅を昌泰3(900)年寺に改めたのが勧修寺である。近くに宮道神社がある。 (村井康彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by