外戚(読み)ゲシャク

デジタル大辞泉 「外戚」の意味・読み・例文・類語

げ‐しゃく【外戚】

母方親類。がいせき。げさく。⇔内戚
「内戚にも―にも、女といふもののなむ乏しく侍る」〈宇津保・内侍督〉

がい‐せき〔グワイ‐〕【外戚】

母方の親類。げしゃく。
[類語]母方母系

げ‐さく【外戚】

げしゃく(外戚)

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精選版 日本国語大辞典 「外戚」の意味・読み・例文・類語

げ‐しゃく【外戚】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「げ」「しゃく」はそれぞれ「外」「戚」の呉音 ) 母方の親戚。がいせき。げさく。
    1. [初出の実例]「唯親戚。〈謂。親者。内親也。戚者。外戚也〉」(出典:令義解(833)儀制)
    2. 「文覚には、外戚(ゲシャク)に付てゆかり也」(出典:源平盛衰記(14C前)一九)

がい‐せきグヮイ‥【外戚】

  1. 〘 名詞 〙 母方の親類。げしゃく。
    1. [初出の実例]「是復皇家之外戚」(出典:続日本紀‐天平宝字四年(760)八月甲子)
    2. [その他の文献]〔史記‐外戚世家〕

げ‐さく【外戚】

  1. 〘 名詞 〙げしゃく(外戚)
    1. [初出の実例]「むほんの親王のけさくのよせなきにてはただよはさじ」(出典:河海抄(1362頃)一)

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改訂新版 世界大百科事典 「外戚」の意味・わかりやすい解説

外戚 (がいせき)

中国で皇后または皇太后一族をいう。ことにその父や兄は,娘または妹にあたる皇后や皇太后を介して国政容喙(ようかい)し,絶大な権勢をふるうとともに,一族郎党がその権勢を背景にして横暴をはたらくことが多い。皇帝が幼少で,皇太后摂政になったとき,あるいは皇帝が暗愚で,皇后の力が強いとき,そのような現象がおこりやすい。漢の高祖劉邦の死後,呂(りよ)太后が若年の恵帝をさしおいて国政を動かし,呂氏一族とともに天下を奪いとろうとしたことや,唐の高宗の皇后則天武后がついに唐の国家を奪って国号を周と改めたことなどは,外戚による奪というよりも,むしろ皇后ないし皇太后自身による政変というべきだが,もとより外戚による奪の例も存在する。前漢元帝の皇后王氏の一族であった王莽(おうもう)が,漢を奪って新という国を建てた例や,北周宣帝の皇后の父楊堅が,北周を滅ぼして隋王朝を建て,隋の文帝と称されることになった例などがそれである。外戚によって国が滅ぼされる事態にまでは至らなくても,外戚が国政を乱す例は多く,たとえば後漢では,4代目の天子の和帝以後幼弱な皇帝が多かったので,皇太后が次々に摂政になり,そのたびに竇(とう)氏・鄧氏・梁氏などの外戚が国政を掌握した。しかし,皇帝は成長するにつれて,これら外戚の専横に反発し,側近の宦官かんがん)を結集して外戚を打倒したため,今度は宦官の勢力が強くなり,後漢の宮廷は外戚と宦官の闘争の場になっていった。このような政治的混乱が後漢帝国滅亡の一因にもなったのである。また西晋では,武帝の死後,その皇后楊氏の一族と,武帝のあとをついだ恵帝の皇后賈(か)氏の一族とが覇を争い,賈氏一党が楊氏一党を誅滅して横暴をきわめることになった。賈后および賈氏一党の横暴が八王の乱を誘発する原因になり,それがやがて異民族の華北席巻を許し,西晋王朝の滅亡と漢文明の危機を招来する結果となったのである。
執筆者: 外戚はまた,ある人物からみて母方および妻方の親族を意味する。日本の古代においては,藤原氏が天皇の外戚として摂政,関白の地位につき,権勢をふるったが,中世において,京都朝廷の公家政権や,鎌倉・室町時代の武家政権が,当時における親族制度の中心とみなし公認していたのは,父方親族(内戚)にほかならなかった。それは,中国から伝来した儒教思想の影響によると考えられる。だが,中世の人々の実際の生活面では,父方親族と母方・妻方親族とが寄り合って相互扶助的な社会関係を営むのが普通であったから,外戚が,人々の政治的・社会的活動に与えた影響も大きかった。鎌倉時代初期の3代の源家将軍が,その外戚北条氏をたのみとし,室町将軍の足利義政が,妻富子の里方日野家と深い関係をもったのはその例である。ただし,外戚が歴史上真に大きな影響力をもったのは,南北朝時代よりも以前のことで,のち儒教思想が社会の隅々にしみわたるにつれ,その影響力はしだいに希薄になっていった。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「外戚」の意味・わかりやすい解説

外戚【がいせき】

一般に母方の親族をいい,父方の親族の内親・内戚に対する。中国では皇后または皇太后の一族をいう。日本では奈良初期,藤原不比等(ふひと)が2人の娘を文武(もんむ)天皇聖武天皇に入内(じゅだい)させ,皇室の外戚となり藤原氏繁栄の基礎を築いた。平安中期には外戚の地位を利用して摂政関白に就き,権力を確立。なかでも藤原道長は,外孫の後一条(ごいちじょう)・後朱雀(ごすざく)・後冷泉(ごれいぜい)の3天皇の摂政として政治を左右した。→摂関政治

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「外戚」の解説

外戚
がいせき

母系の親族をいうが,その範囲は明確でない。ちなみに,名例律議親条で特権が与えられた天皇の外戚は,外祖父母,オジ・オバとその子である。外戚が最も意味をもった古代では,結婚した男子は妻の生家の支援をうけ,生まれた子は母の家で養育され,成長後は邸宅など財産を継承することも多くみられた。天皇も,有力な外戚が後見でなければ即位を期待できず,逆に天皇の外戚も,高位高官(追贈を含む)にのぼるなどの優遇をうけた。清和天皇の外祖父藤原良房(よしふさ)が最高権力をにぎって以後,藤原氏が天皇の外戚の地位を保持して摂関を歴任した。院政期には,上皇の父権の確立にともない外戚の地位は低下したが,その後も外戚関係を含む姻戚関係は,社会全体に少なからぬ影響を及ぼした。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「外戚」の解説

外戚(がいせき)

皇后の一族をいう。特に幼年の皇帝が即位し,母親の皇太后が代理に実権を握った場合,外戚の一族が高官を占め,中央の権力を動かす。後漢の皇后は有力な家から出たので,第3代の章帝以降外戚の時代に入り,宦官(かんがん)とぶつかりしばしば政争の原因となった。特に和帝の皇后の鄧氏(とうし),順帝の皇后の梁氏(りょうし),霊帝の皇后の竇氏(とうし)は臨朝といって正式に政治をとり行った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「外戚」の解説

外戚
がいせき

皇后や妃の一族
皇后や妃を介して政治に介入し,権力を握ることが多い。特に皇帝が幼少・暗愚な場合に顕著となる。著名な例として,前漢を奪った王莽や隋の建国者楊堅などがあげられる。また特に後漢においては,第4代和帝以降幼弱な皇帝が続いたため,外戚の専横が目立ち,宦官との対立によって後漢は衰退したといわれる。

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普及版 字通 「外戚」の読み・字形・画数・意味

【外戚】がい(ぐわい)せき

皇后の一族。母方の親戚。〔史記、魏其武安侯伝賛〕魏其・武安は、皆外戚を以て重んぜらる。

字通「外」の項目を見る

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旺文社日本史事典 三訂版 「外戚」の解説

外戚
がいせき

母方の親戚
天皇の外戚は,皇子が母方で養育されることから,政治的に権力を得ることが多く,藤原氏はこの地位を利用して摂政・関白となった。

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