牛乳を精製するにあたって発酵の段階により五つ(乳、酪、生酥(しょうそ)、熟酥、醍醐)に分け、それら五つの味を「五味」という。後のものほど美味で、「醍醐」がその最高の味とされる。そこから「醍醐味」という語も生まれた。
享徳三年(一四五四)四月一四日、阿闍梨善栄は上醍醐にある慈恩寺供僧職御影供田八〇〇束刈を買得し、供僧職に補任されている(「阿闍梨幸調供僧職御影供田補任状案」禅林坊文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市伏見(ふしみ)区東部の一地区。旧醍醐村。山科(やましな)盆地南東部にあたり、醍醐山(454メートル)付近の上(かみ)醍醐と西麓(せいろく)の下醍醐に分かれる。真言宗醍醐派総本山の醍醐寺(世界文化遺産に登録)があり、寺域は上醍醐から下醍醐に及ぶ。応仁文明(おうにんぶんめい)の乱(1467~1477)には一山ほとんど灰燼(かいじん)に帰し、豊臣(とよとみ)秀吉によって再建された。五重塔は創建当時唯一の遺構で、京都市内最古の木造建物である。境内にはサクラが多く、秀吉は再興を祝して花見の宴を催したが、今日も4月には豊太閤花見行列(ほうたいこうはなみぎょうれつ)が行われる。市営地下鉄東西線醍醐駅がある。
[織田武雄]
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乳製品の一種。仏典によると乳から酪(らく)ができ,酪から蘇(そ)ができ,蘇から醍醐ができるという過程をへる。しかしこれは,「醍醐」が究極の悟りであり最上のものであるという比喩として語られたもの。「沙石集」や「平家物語」にも五味として「乳・酪・生蘇・熟蘇・醍醐」がみえるが,あくまで仏教の教説のたとえであり,日本では実在の食品とは考えにくい。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…また〈不死なるもの〉の意味から永遠の生命をもつ仏の教え,あるいは仏の教えによる悟りの境界を示すものともされた。甘露が醍醐(だいご)とも訳されるのはこの意味からである。なお,密教経典では阿弥陀仏(あみだぶつ)の阿弥陀はamṛtaの俗語形であると解釈し,阿弥陀仏と甘露とを同一視している。…
…やがて蘇をはじめとする乳製品は律令政治の命運とともに衰退し,1334年(建武1)の《若狭国貢蘇役文書案》を最後にほとんど記録上から姿を消す。 蘇については,《本草和名》《和名抄》《医心方》などが中国の文献を引用して,牛乳から酪(らく),酪から蘇,蘇から醍醐(だいご)が作られ,酪はニウノカユと呼ばれ,蘇は黄白色をしており,醍醐は蘇の精液であるという。蘇の作り方に関する唯一の手がかりは《延喜式》民部下にある〈蘇を作る法は,牛乳1斗を煎(せん)じて蘇1升を得る〉,つまり牛乳を1/10に煮つめたものという記述である。…
…上記のアマルテイアはコルヌコピア(〈豊饒の角〉)と結びつけられている。 牛乳は古代インドでも重宝(ちようほう)されて最高の美味をもつ醍醐(だいご)(〈醍醐味〉はこれに由来する)の原料だった。日本でも,つとに奈良時代初期,山背国の乳牛飼育を調査した記録が《続日本紀》にあり,平安時代の医書《医心方》では牛乳からつくった酥(そ)が健康食として勧められている。…
…碾磑(てんがい)という水車を利用した石臼による製粉法もこの時代いっそう発達し,粉食の普及に輪をかけた。胡餅のほか,酪(乳酸飲料),酥(クリーム),醍醐(ヨーグルト),乳腐(チーズ)などがもてはやされた。陸羽の《茶経(ちやきよう)》に代表されるように唐代には飲茶の風習が広がるが,砂糖もこの期には甘蔗(サトウキビ)からとられ製糖業がおこっている。…
※「醍醐」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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